榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

明智光秀と熙子の夫婦愛、織田信忠と松姫の純愛、源義経と静の固い絆――に胸がキュンとした・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2283)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年7月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2283)

ベニヒモノキ(写真1)、スパティフィラム(写真2)、ヒメジョオン(写真3)が咲いています。セネシオ・カンディカンス‘エンジェル・ウィングズ’(写真4)の白い葉が目を惹きます。我が家の庭で育ったアオジソ(写真5、6)が、しばしば食卓に上ります。

閑話休題、『胸キュン?! 日本史』(堀口茉純著、瀧波ユカリ・イラスト、RICCA4コマまんが、集英社)は、日本史上の胸がキュンとする恋愛事例を取り上げています。とりわけ心に響いたのは、「夫は妻のために、妻は夫のために・・・ 熙子♥明智光秀」、「まるでロミオとジュリエット 松姫♥織田信忠」、「君に届け! 日本一のラブソング 静御前♥源義経」の3例です。

●熙子♥明智光秀――
「(光秀は織田)信長に仕えるようになりますが、織田家には長年信長に仕えてきた優秀な家臣たちがいました。そういうなかで、チャンスをつかんではいあがっていくのは並大抵の苦労ではありません。運も実力も、それから『自分はぜったいに出世するんだ』というゆるぎない覚悟も必要でした。光秀のモチベーションの源・・・、それは、彼の妻の存在が大きかったのではないかと、私は思います。・・・(光秀が困っているのを)知った妻・熙子が、夫にはないしょで自分の髪を切って売り、必要なお金を用意したのです。・・・光秀は、熙子に『いつか出世して、楽な暮らしをさせてあげるから』とちかい、ガムシャラにはたらき、信長にみとめられて大出世をとげました。ただ、喜びもつかのま。光秀は過労で病気がちになり、看病していた熙子も病にたおれ、ついに亡くなってしまいました。その後、光秀は本能寺の変を起こした謀反人として生涯を終えるのです。しかし、謀反人・明智光秀と、彼が愛した心の美しい妻の逸話はひそかに語りつがれました。俳聖・松尾芭蕉も、こんな句を詠んでいます。<月さびよ 明智が妻の咄せむ>(秋の月がわびしく、美しくかがやく。こんな夜には、明智の妻の話をしよう)」。私も、自分の大切な人に恥をかかせたくないという一念で、組織を生き抜いた猛烈人間だったので、深い共感を覚えます。

●松姫♥織田信忠――
「松姫は甲斐国(山梨県)を拠点とする戦国武将・武田信玄の四女(五女、六女、という説もアリ)です。信玄パパは、松姫を娘たちのなかでも特別かわいがってそだてました。やがて、武田家は織田家との同盟強化のため、松姫と織田信長の嫡男・信忠を婚約させます。でました、戦国時代名物・政略結婚! 松姫と信忠がじっさいに会う機会はなかなかおとずれませんでしたが、文通で心をかよわせ、将来夫婦になるおたがいへの理解を深めていったようです。しかし、婚約から5年後、思いがけない出来事が。父・信玄が徳川家康を攻撃したのです。徳川家は織田家と同盟関係にあり、つまり、武田が徳川を攻めるということは、織田家との同盟をやぶると宣言するようなもの。さらに、4か月後には、信玄自身が病気で急死・・・!! これで、武田家と織田家の同盟関係は事実上破綻。当時の慣習として、松姫と信忠の婚約も解消されることになります。信忠への恋心をはぐくんでいた松姫は、胸がはりさけるような思いでした。武田家と織田家の同盟関係が解消したあとも、松姫は信忠を思いつづけていたのでしょう。だれとも結婚しませんでした。・・・(武田家滅亡のとき)22歳になっていた松姫は、兄たちや家臣がのこした幼い娘3人をつれて、住みなれた故郷・甲斐国を出て峠をこえ、命からがら武蔵国八王子(東京都八王子市)にのがれました。そこへ、信忠からの使者がやってきたといいます。じつは信忠は、武田家との戦の最中も松姫のことを思いつづけ、ほかの女性を正室にすることはありませんでした。彼女が生きているならば救いだしていっしょに暮らし、今度こそ本当の夫婦になろうと考えていたのかもしれません。・・・心がかき乱された松姫のもとに、おいうちをかけるような知らせがもたらされます。本能寺の変が起こり、信忠が自害したというのです・・・! 残念ながらこれは事実。ふたりがこの世で結ばれることは、永遠に叶わなくなりました。・・・彼女が選んだのは出家でした。自分の夫とよべる人は、信忠ただひとり、生涯独身をとおすことを心に決めたのです。純愛!」。織田信忠と松姫のことは、本書で初めて知りましたが、二人を好きになってしまいました。

●静御前♥源義経――
「静の職業は白拍子。白拍子というのは、流行歌を歌いながら踊りを披露することが仕事の芸能者(ほぼ女性)です。・・・義経は、奇想天外な発想で敵をたおす戦の天才。源平合戦で大活躍しました。・・・静と義経は、おたがいにビビッとくるものがあったのでしょう。たちまち恋に落ちます。しかし、幸せなときは長くはつづきません。平家が滅亡して平和がおとずれると、義経の自由奔放なふるまいに嫌気がさした(人気に嫉妬した?)兄の源頼朝によって、都を追放されてしまうのです。・・・(逃避行を続ける義経一行と吉野山で別れた)静は義経をさがす追手に見つかり、頼朝のいる鎌倉に送られました。そして、義経の居所をつきとめようと取りしらべがはじまり、鶴岡八幡宮に参拝する頼朝と政子夫妻の前で、白拍子として歌舞を披露することを命じられるのです。義経を討ちとろうと執念ぶかく追いかける頼朝は、静にとっては仇にひとしい人物。そんな人の前で、歌ったり踊ったりすることなどできないと、当日まで何度もことわりましたが、周囲の圧におされ、意を決してこんな歌を歌いはじめました。<しづやしづ しづのおだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな>(しずの布を織るためにくるくると回る苧環のように、昔を今にする方法があったらどんなによかっただろう。義経が静、静と私をくりかえしよんでくれたあの頃にもどりたい)。ふつう、こういうときは空気を読んで、『頼朝万歳! 鎌倉幕府万歳!』という内容の歌を歌うもの。それなのに、静は義経への思いをこめたラブソングを高らかに歌い、華麗に踊りぬいたのです。鎌倉幕府に対する命がけの反抗でした。頼朝は大激怒しますが、それを政子がなだめます。政子にも、周囲の反対をおしきって頼朝といっしょになった過去があり、静が義経を思う気持ちに共感したのでしょう」。時の最高権力者の気持ちを害すると重々承知しながら、その目の前で、愛する義経を慕う歌を堂々と歌い上げた静は、私の大好きな歴史上の女性No.1です。