榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「魔女裁判」は、告発→尋問→法医学的診断→拷問→自白→死刑宣告の順で行われた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2297)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年7月27日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2297)

アカボシゴマダラ(写真1)、シオカラトンボの雄(写真2)、雌あるいは未成熟の雄(写真3)、シオヤアブの雄(写真4)をカメラに収めました。私の書斎では、魔女たちが同居しています。

閑話休題、『図説 魔女の文化史』(セリヌ・デュ・シェネ著、蔵持不三也訳、原書房)は、私のような魔女好きには堪らない大型図説書です。

「特定の時代には、あれは魔女だというこの言葉が発せられただけで、憎悪のため、その憎悪の対象となった者は誰彼なしに殺されてしまったことに注意していただきたい。女たちの嫉妬、男たちの貪欲、それらがじつにうってつけの武器を手に入れるわけだ。どこそこの女が金持ちだって?・・・魔女だ。――どこそこの女がきれいだって?・・・魔女だ」という、ジュール・ミシュレ『魔女』の一節が献詞として掲げられています。

本書は、「魔女狩り」、「魔術」、「魔女のイメージ」、「政治的な魔女とフェミニストたち」の4章で構成されているが、私にとって最も興味深いのは、「魔女狩り」の章です。そこには、恐るべきことが記されています。

「1652年4月6日、ジュネーヴで、年の頃50あまりの女性ミシェ・ショードロンが、1か月の裁判後に『魔術を働いた廉』で処刑されることになった。3か所ある市門のひとつヌーヴ門からさほど遠くないプランパレ広場には、この魔女の絞首刑を見るために群衆が集まっていた。やがて死体は焼かれた」。

「彼女はサヴォワ地方に生まれ、カトリック信者の寡婦であり、子どもをひとり亡くしている。生まれは1602年。ジュネーヴのプロテスタント共和国に移り住み、貧しく悲惨な日々を送った。孤独で一風変わっていた彼女は、裁判の前まで洗濯女として糊口をしのぎ、おそらく同市の外れに住んでいた。やがてミシェ・ショードロンは、まわりから浄めのスープなどで施療をおこなうゲリスーズ(女性民間医療師)とみなされるようになった。1652年初頭、7ないし8人の女性が彼女を告発した。ふたりの少女にエンドウの豆をのせた一皿と毒の粉を入れたグラスワインを勧めたあと、『したたか殴った』というのである。この告発によって彼女は逮捕され、魔術を働いたとして投獄された」。

「ミシェル・ポレの指摘によれば、ミシェ・ショードロンの事例は、その訴訟のありかたからして、17世紀の犯罪的魔術『妖術』を働いたとして告発された多くの女性たちの典型だという。そこでは告発、裁判、裸にして毛を剃った女性の身体に『悪魔の刻印』、すなわち悪魔に忠誠を誓った証拠があるかどうかを調べる法医学的診断、自白を引き出すために加える拷問、そして処刑がおこなわれたからである。ただ、ミシェ・ショードロンの場合にはもうひとつ特徴があった。その死がヨーロッパの大規模な魔女狩りの最後を告げたということで、フランスでは、この魔女狩りは1682年、占い師や魔術師、風俗紊乱者、毒薬売りにかかわるルイ14世の勅令によって、最終的に終息している。・・・こうして1世紀半以上におよぶ抑圧に終止符が打たれた」。

念のために申し添えておくが、私は「魔女」の人形は好きだが、「魔女狩り」には激しい怒りを抱いている人間です。