榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

一緒に不真面目になってくれる仲間を見つけよう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2430)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年12月12日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2430)

早朝、2階のヴェランダに洗濯物を干しにいった女房が、8羽ぐらいの野鳥が電線に止まっているわよ、と駆け下りてきました。それらは毛繕いに夢中なカワラヒワ(写真1、2)たちでした。少し離れた所にスズメ(写真3)もいます。ジョウビタキの雌(写真4~6)、モズ(写真7、8)、ハクセキレイ(写真9)、地上で餌を啄むオオバン(写真10、11)たちをカメラに収めました。ダイサギ(写真12)が飛んでいった先で、ダイサギとコサギ(写真13)が並んでいます。因みに、本日の歩数は13,101でした。

閑話休題、『くらしのアナキズム』(松村圭一郎著、ミシマ社)の著者・松村圭一郎に私が好感を抱くのは、自分が影響を受けた著作や著者を率直に明かしているからです。

「鶴見俊輔が定義したように、アナキズムは『権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想』だ。『たがいに助けあう』。この言葉からは、心あたたまる無償の支援や贈り物のやりとりが思い浮かぶ。たしかに『贈与』はアナキズムと関係が深い。でも、じつはそれと対局にあるようなお金を介して物を売り買いする『市場』という空間にも、アナキズムと通じるものがある」。

「デヴィッド・グレーバーが考えた『アナキズム』は『無政府主義』という言葉から連想される破壊的なカオスでもなければ、あらゆる政治制度を否定する主張でもない、それはむしろ、より民主的な政治が可能になる社会形態を目指す理念だった。どうしたらそんなことが実現できるのだろうか」。

「『政治』とは耕しておくこと――意思決定の前に」。

「くらしのアナキズムは、目のまえの苦しい現実をいかに改善していくか、その改善をうながす力が政治家や裁判官、専門家や企業幹部など選ばれた人たちだけでなく、生活者である自分たちのなかにあるという自覚にねざしている。よりよいルールに変えるには、ときにその既存のルールを破らないといけない。サボったり、怒りをぶつけたり、逸脱することも重要な手段になる。それなら、ぼくらにもできそうな気がする。自分の思いに素直になればいいのだから」。

「正しい理念や理想を掲げて一致団結して進むのではなく、たえずそれぞれの『くらし』に立ちもどりながら、能力に応じて貢献し、必要に応じて与えられる状況をつくること。そのために異なる意見をもつ他者との対話をつづけること。そのコンヴィヴィアル(友好的)な対話には、向かうべき方向があらかじめ決まっているわけでも、ひとつの正解があるわけでもない。なんのために、ぼくらは生きているのか、働いているのか。どんな社会で子どもを育て、仲間とともに暮らしていきたいのか。くらしのアナキズムのそもそもへの問いかけは、かならずしも自分の内なる思いや身近な他者の生きる日常が既存のルールや理想と一致しない現実をあぶりだす。そのとき、ぼくらはなにに真面目であるべきなのか?」。

「だれかが決めた規則や理念に無批判に従うことと、大きな仕組みや制度に自分たちの生活をゆだねて他人まかせにしてしまうことはつながっている。アナキズムは、そこで立ち止まって考えることを求める。自分たちの暮らしをみつめなおし、内なる声とその外側にある多様な声に耳を傾けてみようとうながす。その対話が身近な人を巻きこんでいく。『私たちそんなことやるために生きているわけじゃないよね?』と」。

「ぼくらはときに真面目であるべき対象をとり違えてしまう。大切な暮らしを守るために、日々の生活でいやなことにはちゃんと不真面目になる。ルールや『正しさ』や国家のあめに一人ひとりの暮らしが犠牲にされる。それこそがぼくらの生活を脅かしてきた倒錯だ。ひとりで問題に対処できなくなるまえに、一緒に不真面目になってくれる仲間をみつけ、そのささやかなつながりの場や関係を耕しておく。それが、くらしのアナキズムへの一歩だ」。

私も、遅蒔きながら、一緒に不真面目になってくれる仲間を見つけなければ!