美術における政治的なものを、どのように考えるべきか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2478)】
ツグミ(写真1~7)、ヒヨドリ(写真8、9)をカメラに収めました。
閑話休題、『絵画の政治学』(リンダ・ノックリン著、坂上桂子訳、ちくま学芸文庫)は、美術における政治的なものを、どのように考えるべきかを論じています。
19世紀の絵画を、ヨーロッパvsオリエント、純粋芸術vs大衆芸術、男性vs女性といった、作品を取り巻く社会的・政治的関係性から読み解いていこうという意欲的な著作です。
例えば、世界の中心としてのヨーロッパvs辺境としてのオリエントは、ジャン・レオン・ジェロームの「奴隷市場」を巡って、このように解説されています。「このようなオリエンタリズムの性を主題とした絵画が創造される動機づけと、こうした主題への欲望は、純粋に民族学的な意味とはほとんど関係ない。ジェロームのような画家たちは、裸の力ない女性と洋服を着た力強い男性を提示するという似たようなテーマを、いろいろな設定の中に、つくろって描くことができた。このような、舌鼓を打たせるような人気のある刺激的な主題の作品が制作される背後には、もちろん、美しい奴隷の女性の甘味な屈辱が、道徳的な覗き趣味の人々に満足感を与えるという事情がある。彼女たちは、どこか遠くで自分たちの意志に反して捕えられた無垢の女性として描かれており、その裸体は、非難ではなくむしろ同情される対象となっている。彼女たちはまた、誘惑的な肉体をおおうよりはむしろ、目をそらすという迎合的な態度をとっている。ところで、女性の裸に対する男性の力を、オリエンタリズムによって主張したジェロームの絵には人気があり、19世紀のサロンでもしばしば見られた」。
「彼(ジェローム)は実際次のように語っている。『私やそのほか正しい考えのフランス人たちが、このような出来事に関わっているとは、思わないように。私は単に、私たちほど教養のない民族が、裸の女性の売買をほしいままにしているという事実――しかしながら、なんと、挑発的なことだろう――を、注意深く描きとめているだけである』。同時代の多くの絵画作品のように、ジェロームのオリエンタリズムの絵は、力について2つのタイプのイデオロギー上の前提を何とか具体化しようとしている。そのひとつは、女性を支配する男性の力である。もうひとつは、白人男性の、より肌の濃い色の民族への、正確に言うなら、このような悲しくも淫らな商売にはげむ人々に対する優位性であり、すなわち、彼らに対する正当な支配である」。
いささか学術的な解説であるが、それはそれとして、掲載されている絵画そのものを、先ずはじっくり鑑賞することにいたしましょう。