豊かな奥行きを感じさせるエッセイ集に出会った・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2544)】
セイヨウシャクナゲ(写真1、2)、ホンシャクナゲ(写真3、4)、シダレザクラ(写真5、6)、ショカツサイ(オオアラセイトウ。写真7)が咲いています。ヤブツバキ(写真8)が落花しています。
閑話休題、『泣いてちゃごはんに遅れるよ』(寿木けい著、幻冬舎)は、日々のちょっとした出来事から好きな作家や映画などへの思いを紡ぎ出すという、豊かな奥行きを感じさせるエッセイ集です。
例えば、「三月の蓑、八月の鯨」は、こんなふうです。東京・有楽町で開催されていた物産展で買うのをすんでのところで思い止まった、藁で編んだ蓑と腰蓑。そして、新宿のデパートで受け取ったオーダーしていたワンピース。「家事や生活とはほど遠い、たっぷり波打つ夢のような布をまとって、私はどこへ行くでもない。はなから、家の中で着ようと思って買ったのだ。映画『八月の鯨』で見た、ベティ・デイビスとリリアン・ギッシュ演じる老いた姉妹が、髪と身なりを整えて過ごす暮らしぶりに、未来を想像しつつ憧れて――と言うにはまだ早すぎるけれど、月がきれいな夜には、こんな服で食事をしてみたい。このドレスに体を入れるたびに、あの、何かの手違いみたいに春の都会に連れてこられた蓑を思う。香りだけでも確かめておけば良かった。懐かしい、故郷にも溢れていた秋の香りを。同じひとりの女の中に、ドレスを着ている女と、蓑を着て歩いてみたいと思う女が同居している。蓑の香りなど知らないという顔をして肩をそびやかし、指輪を外した手を糠床に突っ込む。どちらが幻で、どちらが本当か。意外と地続きであるような気もする」。『八月の鯨』という映画を見たくなってしまいました。
「桜の木、檸檬の木」には、こういう一節があります。「南の小さな庭には、桜の木が植えてあった。持ち主はこの地で、今以上に幸せになろうとして、木を植えたのだろう。幸せなときに植えられた木が、そうでない時に植えられた木より健康に咲くかどうかは分からないが、とにかく、越してからしばらくは桜は咲かなかった。詳しい夫が土をシャベルで点検しながら言う。『この土壌じゃあ、うまく育たないだろうなあ』。私は、前の住人は無知から植えたのではなく、万が一でも咲くかもしれないと木の力を信じたひとだったのではないかと思う。事実、私たちが住んでから三年めに、桜は初めて淡桃色の花をつけた。ヤマザクラだった」。私の実家のヤマザクラに思いを馳せてしまいました。
「結婚小景」には、私の好きな須賀敦子、庄野潤三が登場します。「静かに生きることはそれほどやさしいことではない――作家の庄野潤三はこう書いた。庄野との出会いは、翻訳家で作家の須賀敦子による手引きだった。須賀は庄野の『道』を読んで強く心を動かされ、イタリアの友人たちに紹介したいと感じた。日本の名作から『道』を含む二十五編を、数年を費やして訳し、『Narratori giapponesi moderni(日本現代文学選)』にまとめあげて出版したのは一九六五年、東京に初めてオリンピックがやってきた翌年のことだった。・・・須賀敦子と庄野潤三という、推しふたりの人生に交わりがあったことも、うれしい」。私が庄野の『道』を読んだのも、須賀の手引きによるものだったので、不思議な縁を感じます。寿木けいが「好きな作品は、まず代表作の『夕べの雲』、それから『道』。ともに、子どものいる家庭を扱った物語だ」とあるので、『夕べの雲』も読みたくなってしまった私。