一家の何げない日常生活が淡々と描かれているが、なぜか心に沁みる『夕べの雲』・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2549)】
サクラのカンザン(写真1~4)、オオヤマザクラ(エゾヤマザクラ。写真5)、カスミザクラ(写真6)、ウコン(写真7)が咲き競っています。レッドロビン(写真8、9)の新葉の鮮やかな赤色が目を惹きます。ハナカイドウ(写真10)、クサボケ(写真11)、チューリップ(写真12、13)が咲いています。コガモの雄(写真14)、雌(写真15)、カワウ(写真16)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は15,345でした。
閑話休題、『泣いてちゃごはんに遅れるよ』(寿木けい著、幻冬舎)の中で、寿木けいが庄野潤三作品で一番好きと告白している『夕べの雲』(庄野潤三著、講談社文芸文庫)を手にしました。
大浦一家の夫と妻と3人の子供たちの何げない日常生活が淡々と描かれているが、庄野一家の生活ぶりがそっくり反映しています。
例えば、こんなふうです。「最初、(新築した家の)この部屋に晴子の勉強机が運び込まれた時、新しい壁や柱に対して釣り合いが取れないように見えた。なぜならこの勉強机は(長女の)晴子が小学校に入学した時に刈ったもので、もうすっかり古くなっていたのである。『これはやっぱり新しいのを買った方がいいな。もうだいぶ窮屈そうだ』。大浦がそういうと、晴子は、『いいよ。大丈夫よ、これで』。『まあ、高校へ入った時まで辛抱するか』。『いいよ、いいよ。この方が貫禄があっていいよ』。『貫禄はたしかにある』。机の表面のいちばんよく手や腕の当るところは、とっくにニスが剥げて、木目があらわに浮び出ていた。大小無数の傷あとが、あらゆる方向に刻まれていて、ところどころに子供らしい落書きのあとが残っている」。
1年後――。「(小学校に入学した、晴子の下の弟)正次郎の新しい机が入ってみると、晴子の机がいかにも見すぼらしく見えた。背がいちばん高くて、実際にいちばんよく勉強机を使う者が、兄弟の中でいちばん古くて、小さな机にいることになる。どうも矛盾しているように見える」。
2年後――。「晴子は高校に入学した。大浦は細君にいった。『今度こそ机を買ってやらないといけないな』。「ええ、そうしてやりましょう。あれでは、あんまりだわ』。大浦は晴子にいった。『机、買うから。お祝に』。『いいよ、これで』。『どうして』。『大丈夫よ。何ともないんだもの』。『膝がつかえないか』。『つかえない。ちゃんと入る』。彼が椅子に腰かけてみると、膝は机の下に入った。ぎりぎりいっぱいで入る。『なるほど』。『ね、大丈夫でしょう』」。
3年後――。「晴子は二年生になったが、まだ机はもとのままだった。・・・そうして、いま、修学旅行に出かけている留守の部屋で、つくづくわが子の古机を眺めていると、まわりの壁や柱に不釣り合いなどころか、いつの間にか周囲に融け込んで――というよりは、むしろこの机が目立たない様子でそこにあるために、部屋全体に或る落着きと調和がもたらされていることに初めて彼は気が付いた。『もうこの机を取ってしまうことは出来ない。このままの方がいいような気がする』と大浦は思うのだった」。
私事に亘るが、結婚した時、女房が嫁入り道具と一緒に自分が中学生の時から使っている机を持ってきました。これが結構がっちりした机で、私の書斎に納まっているが、すっかり書斎に馴染んでいます。
講談社文庫版の巻末の解説に、こういう一節があります。「庄野が日常の何でもないことを書いているのは、そこに庄野の尊重する、またよろこびを覚えるおかしみを見出しているからだろう。美が、詩があるからだろう。しかし、それを強調するようなことはしない。余計な説明や粉飾は一切省略して、言葉を撰び目立たぬように押えて書いている。表面に現われたものより、かくされているものの方が大きい。何でもないことを書いて、庄野の作品が重さを持ち、静かな品格のある佇いを持つのはそのためである。この境地は庄野独特のもので、こう云う作品は庄野の他には誰も書けない」。
幸福な大浦一家の物語は、ほのぼのとした気分にさせてくれます。