榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書のおかげで、兼好法師に親しみを感じることができるようになりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2555)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年4月16日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2555)

ベニシジミ(写真1、2)をカメラに収めました。サクラの園芸品種のギョイコウ(写真3~6)、ウコン(写真7~10)、イトククリ(写真11、12)、そしてハンカチノキ(写真13、14)が咲いています。コロナ対策と日焼け対策バッチリの、ちょっと休憩中の撮影助手(女房)。今宵は満月です。因みに、本日の歩数は14,175でした。

閑話休題、『源氏物語』の現代語訳は『謹訳 源氏物語』(林望著、祥伝社、全10巻)に限ると高く評価している私が、今回、手にした『謹訳 徒然草』(林望著、祥伝社)は期待を裏切りませんでした。

「そもそも、この書の作者、兼好法師という人は、どういう出自のどういう経歴を持った人であったか、ということについては、近年になってさまざまの新しい研究が現れ、従来言われていた伝説的なことがらが、あまり当てにならないことがわかってしまった。じつは生没年すら不明とするほかはない。万事は、これからの研究に待つというところである。ただ、そういう学問的なことを離れて、この作品は作品として、充分に楽しく読める。兼好という、ひとりの『当たり前の人間』がいて、或る時は仏の教えに深く分け入って人生の万般を考えてみたり、或る時は若き日の思い出に耽ったり、或る時は俗界のさまざまな理不尽や愚かしい人々の有様をやっつけたり、或る時は珍談奇話のようなことを苦笑裡に書き留めたり、感銘を受けたことを思い出すままに綴ったり、ほんの備忘録のようなことを簡単に書き置いたり、その渾沌たる筆の運びのなかに、兼好法師という人の複雑で正直な人間性が顕れていると見て良い」。

第三段には、こういう一節があります。<色好みと申しても、ただただ色事に溺れてばかりなんてのではなくて、仕事なども立派にやっているのだが、それでいて「あの方はあれでなかなか隅に置けないのよねえ」と、女たちに思われるというようなのが、男としてぜひこうありたいという姿であろうな>。

第八段――。<久米の仙人は、川で洗濯をしている女の脛(ふくらはぎ)の白いのを見て、空飛ぶ神通力を失って落下したと伝えるが、まことに女の手足や肌などの汚れない美しさ、皮下脂肪のむっちりと豊かな魅力というものは、あとから取ってつけた化粧などの魅力とは違って、体そのものの魅力なのだから、久米の仙人が落下したというのも、まずさもありなんと思うばかりだ>。

第十三段――。<だれと対話するのでもなく、ただ独り、灯火のもとに書物を広げて、いっそ見たこともない古えの世の人を友とするのこそ、この上なく心の慰む行ないである>。

第三十八段――。<名声や利欲に振り回されて、閑(しず)かな暇(いとま)もなく、一生をあくせくと苦しめて終るのは、それこそ愚かなことだ>。

第七十二段――。<下賤な感じのするもの。いつも居るあたりに家具調度が多いこと。硯に筆の多いこと、家中の守り本尊のお堂に仏像の多いこと。庭の植え込みに石やら草木の多いこと。家のうちに子や孫の多いこと。人と対座してやたら口数の多いこと。神仏に願を立てる誓いの文章に、自分の行なってきた善行などをうるさく書きのせてあること。一方、多くても見苦しくのは、書物を運ぶ車に載せてある書物、塵捨て場の塵>。

第百十七段――。<友とするに悪い者は七つある。すなわち、一つには、高貴の身分で高位高官にある人。二つには、若い人。三つには、病がなく身体強健の人。四つには、酒を好む人。五つには、猛々しく血気盛んな武士。六つには、嘘つきな人。七つには、欲深い人。良き友に三つあり。一つには、物をくれる友。二つには医師(くすし)。三つには、智恵ある友>。

第百二十三段――。<何のためにもならぬことをして時間を過ごすのを、愚かな人とも、心得違いをしている人とも言うことができる>。

第百二十七段――。<改めても益のないことは、改めないのを良しとするのである>。

第百六十六段――。<人間たちが営々として互いに生業(なりわい)を立てている有様を見るに、春の日に雪仏を作って、その雪仏に金銀珠玉の装飾を施し、あまつさえお堂を建てようとするのにも似ている。そのお堂が出来上がるのを待って、そこに雪仏を無事に安置するなんてことができようか。人の命も今はたしかに存在しているように見えても、目に見えないところから消えていくこと、あたかも雪のように儚いものであるのに、そのかりそめの命のうちに、せっせと苦労して将来を期するというようなことが甚だ多いのである>。

第二百二十五段――。<楽人の多久資が申したことには、通憲入道(藤原通憲、後に法名信西)は様々な舞の型の中で面白いと思ったものを選んで、当時、磯の禅師と名乗っていた女に教えて舞わせたものであった。その時、白い水干に鍔無しの短刀を腰に差させ、烏帽子を被るという男装の出で立ちで舞ったので、これを「男舞」と、そのように言ったことであった。その禅師の娘で、静と名乗った者が、この芸を継承したのである、これが白拍子の始まりである>。

第二百二十六段――。<後鳥羽院の御世に、信濃前司行長という者が、学問に通暁しているという評判であったが、・・・この行長入道が、『平家物語』を作り、生仏(しょうぶつ)と申した盲人に教えて語らせたのであった。そんな謂れの故に、この物語の中では、比叡山延暦寺のことをとりわけ立派に書いてあるのである。また九郎判官義経のことは、よく知っていて詳しく書き載せてある。しかし、兄の蒲冠者範頼のことは、よく知らなかったのであろうか、多くの事どもを書き漏らしてある。武士のこと、また弓矢や馬術のことなどは、生仏が東国の者であった関係で、東武者どもに問い聞いて、それを行長に書かせたものであった。その生仏の生まれつきの謡いぶりを、今の琵琶法師は真似ているのである>。

本書のおかげで、兼好法師に親しみを感じることができるようになりました。