榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

鶴見俊輔、橋本治、池内紀は、滅茶苦茶凄いぜ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2591)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年5月22日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2591)

ムギセンノウ(ムギナデシコ、アグロステンマ・ギタゴ。写真1、2)、オステオスペルマム(写真3)が咲いています。我が家の庭では、小さなバラ(写真4、5)、サツキ(写真6)が見頃を迎えています。

閑話休題、エッセイ集『かれが最後に書いた本』(津野海太郎著、新潮社)で、とりわけ興味深いのは、「不良少年の目つき」、「往年の目力(読書日記)」、「かれが最後に書いた本」の3篇です。

●不良少年の目つき
「『大きく目を見張ってバタバタ突進してくる人』イメージもそうだが、鶴見(俊輔)さんのふるまいにはいつも、どこか奇人めいて突拍子もないところがあった。・・・一方では年長の女性たちとの情事、他方ではボロ小屋での目に障害がでるほどの集中的読書、しかもそれに前後して2度の自殺未遂と3度の精神病院への入退院を繰りかえしていたというのだから、この14歳の少年の生がいかに極端で異様なものだったかがわかるだろう。この本(『鶴見俊輔伝』)に当時の鶴見家の家族写真がおさめられていた。父の鶴見祐輔を中心に、母と姉、幼い妹と弟――そしてその端に黒い背広にネクタイをしめた俊輔少年がふてくされた姿勢で写っている。そのカメラを睨む反抗的な目つきがものすごい。この不穏な目つきに日ごろの行状がかさなれば、困りはてた父親が15歳になった息子をアメリカに送りだす決意をしたのも、しごく当然と思えてしまうぐらいのものなのだ。――なるほど、ようやくわかりましたよ、鶴見さん。のちにあなたが『私は不良少年だった』『悪人だった』と繰りかえし大声で語っていたのは、あれはただの胡蝶表現ではなかったのですね」。何と、鶴見俊輔は少年時代から恐るべき人物だったのだ。

●往年の目力(読書日記)
「――どうして物を知っている人間は、物を知らない人間に対してやさしくないのかな。そう橋本治が考えるとき、その『物を知らない人間』の内には、まっさきにかれ自身がふくまれていた。ただし橋本さんの場合、その『知らない』の自覚と『知る』ことへの欲望(勉強衝動)が、通常のレベルをはるかにこえてつよいのだ。日本の古典や伝統演劇や絵画史にせよ、日本語や昭和史や強欲化した資本主義にせよ、なみの『物を知っている人間』の教師的な『啓蒙』ていどでは、とうてい満足できないほどにね。そしてこのモーレツな『勉強衝動』が一応みたされると、つぎにその成果を、おなじような『物を知らない人間』たちにもよくわかるように伝えたいという、かれの内なる『説明衝動』が働きはじめる。いや、ちがうか。他人よりも、まずは『私』という『物を知らない人間』にきちんと説明できるまでに本や人やできごとを読みほぐす。もともとその行為こそがかれにとっての『勉強』だったのだから。つまりは『勉強』という我欲がそのまま『説明』という徳に転じる橋本マジックである。そしてその最初のあらわれが、じつはあの『桃尻語訳 枕草子』3巻だったのではなかろうか」。橋本治の本質が剔抉されています。

●かれが最後に書いた本
「老いによる衰弱の進行を容赦なく裏づけるかのように、(池内紀の)『ヒトラーの時代』の記述に少なからぬ事実のまちがいがあることを、インターネットで複数の研究者に指摘されてしまう。・・・発行元の中央公論新社のウェブサイトに、67項目からなる詳細な訂正表の掲載されているのが見つかった。これがきっと(息子の)恵氏いうところの『可能な限りの訂正』なのだな。そこに『2019/08/23』という日付が付されている。池内さんのなくなったのが8月30日だから、その1週間まえ。したがって、さらにそのまえ、『7月末から8月の前半にかけて』と恵氏が書いている時期に、池内さんは『狼狽し、愕然とし、失望に沈』む一方で、最期の力をふりしぼって、編集者とともに、この訂正表づくりにつとめていたことになる。・・・池内さんは『やる』と決め、みずからの生涯のギリギリのどたん場で、この困難な仕事をなしとげることができた。土俵ぎわでの粘りに自信のない私としては、お見事、と嘆息せざるをえない。さすがですな、池内さん」。死を前にした池内紀に脱帽!

こういう本は、津野海太郎にしか書けないでしょう。