白洲正子の『かくれ里』の魅力・・・【山椒読書論(321)】
池内紀の『ニッポンの山里』を読んだら、白洲正子の『かくれ里』(白洲正子著、講談社文芸文庫)を読み返したくなってしまった。
本書は、さまざまな趣味に独自の世界を有する白洲正子が、関西方面の「かくれ里」を訪ね、42年前に出版された紀行エッセイであるが、古さを感じさせないから不思議だ。
「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである」。私も、かくれ里には無性に惹かれる。
「桜の寺」では、京都の西北、周山の山国の常照皇寺を訪ねている。「この辺は紅葉も多い所で、秋にも春にも捨てがたい情趣がある。特に桜の頃、参道を登って行くと、杉木立の向うに、花の姿がちらほら見え、思わず胸がどきどきする。西行にも、宣長にも、そういう歌があったと記憶するが、これは日本人の誰でもが、桜に会う時の心のときめきであろう」。本当に、桜は妖しい雰囲気で我々を包み込む。
「吉野の川上」は、古今集の詠み人知らずの歌に続けて、「吉野は古くから伝統的な『かくれ里』であった。天武天皇が、壬申の乱に、いち早く籠られたのは有名だが、西行も義経も、南朝の天子方も、近くは天誅組の落人に至るまで、『世のうき時』に足が向うのは、いつも吉野の山奥であった」と始まる。著者は、必ずと言っていいほど、その土地固有の歴史に言及するが、私ども歴史好きにとっては、白洲作品の大きな魅力となっている。
「西岩倉の金蔵寺」には、こういう一節がある。京都西山の善峰寺の紅葉を見にいくつもりだったのに、道を間違え、金蔵寺という寺に辿り着いてしまうが、著者は全然、慌てない。むしろ、気になりながら諦めていた寺だと嬉しがっている。「道をまちがえることも時にはいい。実際この寺は、善峰よりはるかに静かで、紅葉も美しい」。一時は栄えた寺だが、今はその面影がない。「したがって、建築も仏像も大したことはないが、三百年の年月は、さすがにしっとりとした落ちつきを与え、特に苔むした石垣は美しい。岩倉と呼ばれるほどだから、この辺は石がたくさん採れるのだろう。昼なお暗き境内には、山気がせまり、今も古代の信仰が息づいているような感じがする。紅葉につられて、奥へ奥へと登って行くと、開山堂の上に愛宕権現を祀り、そこから先は小塩山の頂上にある、淳和天皇大原陵の参道へつづいて行く」。白洲は、他人の評価・価値観に囚われず、自分自身の感性を大切にする。これも、白洲が読者を惹きつける引力となっている。
なお、この後、「鎌倉時代から室町へかけては、僧侶の間で男色は公然の秘密だったらしい」と、男色・稚児(ちご)の詳しい考察が続く。白洲には悪いが、私には一向に興味が湧かなかった。