映画を早送りで観るなんて、一体どういうことなのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2699)】
アオスジアゲハ(写真1~5)の交尾(写真1~3)、アカボシゴマダラ(写真6~10)の交尾(写真6~8)、シオカラトンボの産卵(写真11~13)を目撃しました。ダイミョウセセリ(写真14)をカメラに収めました。
閑話休題、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(稲田豊史著、光文社新書)は、私のような年代の人間には衝撃的な著作です。
「倍速視聴経験者が『20代全体の49.1%』『大学2~4年生(概ね19~22歳)の87.6%』であることから、年齢が若いほど倍速視聴経験率が高いとは言えそうだ」。
著者は、この現象の背景として、①映像作品の供給過多、②現代人の多忙に端を発するコスパ(タイパ)志向、③セリフですべてを説明する映像作品が増えたこと――の3点を挙げています。なお、「コスパ」はコストパフォーマンスの、「タイパ」はタイムパフォーマンスの略です。
個人的に、頭を殴られたように感じたのは、私が私淑している書評家・豊﨑由美が登場する件(くだり)です。「2021年7月、TikTokで小説の動画紹介をしているけんご氏(当時23歳)が、1989年に刊行された筒井康隆の『残像に口紅を』を30秒ほどの動画で紹介したところ、なんと6回もの重版がかかり、合計11万5千部の増刷となったのである。・・・この件は朝日新聞で取り上げられ、出版業界では大きな話題となった。ところが同年12月9日、このことに書評家の豊﨑由美氏(当時60歳)が嫌悪感を示す。同氏はTwitter に『わたしはTikTokみたいなもんで本を紹介して、そんな杜撰な紹介で本が売れたからって、だからどうしたとしか思いませんね。そんなのは一時の嵐。一時の嵐に翻弄されるのは馬鹿馬鹿しくないですか? あの人、書評書けるんですか?』とツイートした。この投稿は界隈に大きな波紋を巻き起こし、けんご氏は翌12月10日に『TikTokでの投稿をお休みさせていただきます』とツイート(1ヶ月後の2022年1月14日に再開を宣言)。けんご氏支持派は『若者に本を買わせるほどの影響力を持ち、出版・書店業界も歓待しているインフルエンサーを、ベテラン書評家が潰した』として、こぞって豊﨑氏を攻撃した。曰く、『けんご氏に比べて、豊﨑氏の評論でどれほど読書人口が増えたんだ?』『けんご氏に比べて、豊﨑氏の評論がどれだけ本の売上に貢献したんだ?』。それをもって評論という仕事の『意味のなさ』を嘲笑する者もいた。言ってみれば『評論はコスパが悪い』というわけである。評論の意義や価値をコスパ、つまり販促効果で測るのが筋違いなのは自明。かつ、『知の運動神経』を駆使した文芸テキストである豊﨑氏の書評と、その本の何がおもしろいのかを手早く伝達する30秒動画を並べて優劣を語るのはナンセンスだ。しかし、この件によって、評論は本当に矮小化された形でその『役立たなさ』を糾弾されてしまった。その根っこにあるのは、まとまった長さの文章で良い点も悪い点も指摘する評論に比べて、短尺で推しをひたすら推すTikTok紹介動画のほうが快適主義者にとっては口当たりが良く、多数決においても優勢であるという事実だ」。
「ここで特筆すべきことがある。書評の意義や価値を理解し、従来であれば豊﨑氏の側につくはずだったベテラン文筆家や出版人の多くが、どちらかと言えばけんご氏の支持を表明したことだ。けんご氏のフォロワーや評論に馴染みのない若年層が豊﨑氏に反発するのは当然であるとして、なぜ出版界において確かな存在感のある豊﨑氏を、古くからの仲間たちは堂々と擁護しなかったのか。そこには、活字本の売れ行きがここ20年以上落ち続けており、下げ止まる気配がないという苦しい事情が大きく影響している。・・・出版文化に身を捧げている(はずの)出版人ならば、もう少しだけ評論の存在意義について目配りしてもよかったのではないか。貧すれば鈍する。彼らも多かれ少なかれコスパ主義に陥っているのだ」。出版人については、著者・稲田豊史と全く同意見です。
「けんご」という人物については本書で初めて知ったが、ネットで彼の小説紹介動画を見、その目的、彼の人物像を知るに及び、こういう小説紹介法があってもいいのではと感じました。だからと言って、書評の達人・豊﨑に対する私の崇敬の念には、いささかの変化もありません。