榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『曽我物難』を巡る、かなり専門的な論文集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2703)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年9月10日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2703)

今宵は中秋の名月で、満月です。

閑話休題、『曽我物語の基層と風土』(二本松康宏著、三弥井書店)は、かなり専門的な論文集だが、いろいろ学ぶことができました。

例えば、こういう記述です。

「建久4年5月28日、新田忠経が富士野の狩庭に瞋り狂う大猪を仕留めたその夜、曽我兄弟は工藤祐経を討ち果たした。さらに兄弟はこともあろうに(源)頼朝の宿所をめがけて走り懸る。工藤を討つだけであれば、あるいは死闘として済まされたかもしれない。頼朝の御前を目指したとき、兄弟は討たれるべき者となった。宿衛の侍たちを斬り伏せ、追い散らし、屋形の内庭に乱入した兄弟の前に、新田忠経が立ちはだかった。新田忠経が曽我十郎を討ち留めたことは『吾妻鏡』建久4年5月28日条にも記されるから、一応、歴史的事実と考えられている」。

「建久4(1193)年5月28日の夜、源頼朝が催した富士野の巻狩の陣内に曽我十郎祐成・五郎時到の兄弟が押し入り、父の仇・工藤祐経を討ち果たした。さらに兄弟は頼朝の御前をめがけて奔参し、宿衛の侍たちと死闘を繰り広げ悉くこれを退かせるが、やがて十郎は討たれ、五郎は捕縛される。翌日五郎は頼朝の尋問にその孝心と武勇を賞賛されつつも余儀なく処刑される。平家滅亡からおよそ8年、頼朝の威風のもとの天下の静謐を迎えようとしていたこの時期に、将軍家の権威をも憚らぬこの事件は、新たな秩序を揺るがす一大事として社会に強い影響を与えた」。

曽我物語からは離れるが、興味深いことが巻末に記されています。「昭和20(1945)年1月25日、近衛文麿は岡田啓介、米内光政、そして仁和寺の岡本慈航門跡を宇多野の陽明文庫に招き、終戦工作に向けた密儀を設けた。話題は国体護持と天皇の戦争責任に及び、近衛文麿は、連合国軍が天皇の戦争責任を追及してきた場合には『陛下を仁和寺にお迎えし、落飾を願ってはいかがか』と自らの案を明かしたという。岡本慈航は『落飾した天皇を裕仁(ゆうにん)法皇と申し上げ、門跡として金堂にお住みいただく』準備をひそかに進めていたともいう。会議の翌日、近衛文麿は高松宮に面会し、明仁皇太子が即位する際には高松宮が摂政となることが話し合われた。昭和天皇との確執が公然となっていた高松宮を摂政とすることは、実質的には昭和天皇の『幽閉』に等しい」。