高峰譲吉は、三共(現・第一三共)の初代社長だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2708)】
ショウキズイセン(ショウキラン、リコリス・トラワビ。写真1~3)、シロバナマンジュシャゲ(写真4、5)、ヒガンバナ(写真6、7)、タマスダレ(ゼフィランサス・カンジダ。写真8、9)が咲いています。
閑話休題、『いかにして発明国民となるべきか――高峰譲吉文集』(鈴木淳編、岩波文庫)からは、高峰譲吉自身の発明に対する執念と、日本人は発明国民を目指すべきだという熱意が伝わってきます。
個人的に、とりわけ興味深いのは、私が長く勤務した三共(現・第一三共)と高峰との関わりです。彼は三共の初代社長だったからです。
巻末の「編者解説」には、こうあります。「高峰譲吉はタカジアスターゼの発明と、アドレナリンの結晶化の成功で著名で、現在まで日本の科学技術の研究で中心的な役割を果たしている理化学研究所の発案者でもある。本署には、彼が発明とそれに立脚した事業について残した言葉を集めた。・・・現地(米国)での試行錯誤の中で、麹菌からデンプン分解酵素を取り出して粉末として安定させることに成功し、それを消化剤タカジアスターゼとして、1894年に特許を取得した。タカジアスターゼは、アメリカの大手製薬会社パーク・デイビス社(のちにファイザー社に統合された)から発売され、高峰は同社の顧問技師となった。・・・高峰譲吉の伝記は様々な形で流布したが、没後には、彼の日本における事業を担った三共(現第一三共株式会社)の創業者塩原又策が1926年に刊行した『高峰博士』が諸種の伝記的叙述の底本となった」。
高峰自身は、講演で、こう語っています。「もはや一文の金を出す人もない。そこで、諺にある困難は発明の母と申すことを思い出しました。商売をするにも資本がない。で、何かこれは工夫しなければ一家の者が餓死するよりほかに仕方がないとういうところからして、酒に使う麹(澱粉質を砂糖に変える品物である)について、われわれ人間は内外人を問わず澱粉質を食べないでは生きておられない。その澱粉質を消化するものは唾の中にある『ジヤスターゼ(ジアスターゼ)』であるから、これが足りなければ消化器に故障が起こる、という道理から人間の消化を助けるにはこの麹の成分を使ったならばどうであろうという考えが、ふと起こってまいりました。ここにおいて、その汁を煮詰めてもみたり、そのほか種々の試験をしているうちに、私の試験場でかねて麹の改良をしました。これを高峰麹というのです。そうして高峰麹の溶液からして主成分である『ジヤスターゼ』をいうものを分けることができました。これを分析してみると、物を消化する力が強い。そこでこれを薬にすればどうであろうというところから、亜米利加で有名の『パークラリス(パーク・デイビス社。のちに製薬会社ファイザーに統合された)』という売薬会社に頼んでみると、それはかねて望んでいるところの薬であるから、ひとつ私の方で売り広めてみようという約束がまとまり、初めてここに『タカジヤスターゼ(タカジアスターゼ)』という一の澱粉質消化剤ができあがったのであります」。
「一体、発明をするということは容易いことではない。すでに発明そのものが一つの困難である上、これを実地に応用することは、また発明するよりも難いかも知れぬ。今日、亜米利加のごときは年に何万という特許ができるけれども、いよいよその中で実地に応用して金を拵え出すというものは比較的少数であります。発明を実地に応用させようというには学力では行かない。今日の発明は偶然ではもちろんできないのであります。やはり学問を土台として算盤でやり上げた結果でなければならぬので、つまり学問ばかりでも行かず、実地ばかりでも行かぬのであります」。