淀殿は、当初は、石田三成の反徳川家康の蜂起に反対していた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2730)】
トウゴマ(写真1)、ソヨゴ(写真2)、コムラサキ(写真3~6)、シロミノコムラサキ(写真7、8)、カキ(写真9~11)が実を付けています。クヌギ(写真12)、クリ(写真13)の実が落ちています。
閑話休題、『論争 関ヶ原合戦』(笠谷和比古著、新潮選書)の著者は、関ヶ原合戦に関する数々の通説に鋭く反論しています。いずれの反論も論拠を明らかにしているので、説得力があります。
通説①=淀殿や豊臣政権の三奉行は当初から石田三成派であった
「反(徳川)家康の蜂起を始めたのは石田三成であるが、当初は三成と大谷吉継の二人だけの行動であった。大坂城の淀殿も豊臣奉行(前田玄以、増田長盛、長束正家の三人)たちもこれに関与しておらず、不穏な情勢に困惑するばかりであり、会津討伐に出征していた家康に早く上方にもどってきて、この不穏な情勢を鎮静化してほしいと要請していたのである。すなわち、三成蜂起の当初の段階では、淀殿と三奉行という豊臣公儀の中枢は家康支持であった」。
通説②=北政所と淀殿は対立関係になかった
「数年前になるが新たに発見された、浅野幸長と黒田長政の連名で小早川秀秋に宛てられた合戦直前の密書では、北政所様のためにその縁続きの武将が家康側につくのは当然だという認識が明確に示されている。関ヶ原合戦の死命を制した小早川秀秋の裏切りは、北政所のためにという観点が、主因であったことを思わせる内容となっている。・・・北政所と淀殿との対抗という問題が伏在していたことを明確に実証するものである。そして北政所に好意を寄せ、彼女のために尽くすということは、とりもなおさず家康に与同して、淀殿と三成の勢力に敵対することであるということが、率直な実感として人びとのあいだで共有されていたということなのである」。
通説③=直江兼続が家康に出した返書・直江状は偽書である
「何よりも直江からの来書を見て家康が激怒したという事実があり、そして増田ら三奉行が『田舎人』の言葉遣いゆえ、これをうち捨てにするよう家康をなだめている事実がある。これらの事実を引き比べてみるならば、この激越な文言を含んだ直江状は実在していたと捉える方が妥当であるし、他の事実との整合性の観点においても有効であると判断しうるのである」。
通説④=三成と兼続は三成蜂起前に通謀していた
「会津征伐~関ヶ原合戦が、三成と直江兼続との間であらかじめ計画されたものであり、直江状で家康を挑発して上方から誘い出し、しかるのちに三成が挙兵することによって、三成率いる西軍と会津の上杉軍とで家康軍を挟撃して家康を討ち取るという戦略であったとする考えである。結論から言うならば、それは否である。現実に即して見たときには、その雄大な挟撃作戦はそもそも目的達成のためには甚だ不向きであるということを理解しなければならない」。
通説⑤=小山の評定は後世の創作である
「小山の評定は紛れもなく実在の事件である。・・・既知の(史料)二点だけでも小山の評定の存在は動かしえないものであったのだが、さらに新たに見いだされた浅野幸長の書状が小山の評定の存在を直接に裏付けている」。
通説⑥=関ヶ原合戦は一瞬で勝敗が決した
「戦闘が朝の早い時間から始まり、数刻(数時間)にわたって戦いが繰り広げられていたことを(複数の史料が)裏付けている」。
通説⑦=小早川秀秋に裏切り出撃を促す家康の「問い鉄砲」はなかった
「小早川の軍勢は、家康側から鉄砲射撃されるまでの間、裏切り出撃を行っていなかったことなどが『備前老人物語』の記述から推知されるのである。・・・松尾山に向けて鉄砲を発射するという際どい刺激策を取りながら、それは誤射であって懸念無用と小早川側にわざわざ伝えるという高等戦術を用いていたことを証言する『備前老人物語』の記述の信憑性が高まることとなるであろう。これらの複雑な手立てが施された後、ついに小早川隊が下山して西軍に向けて襲い掛かった。相手は、それまで東軍と六、七度にわたる攻防の応酬を繰り広げていた大谷吉継隊である」。
通説⑧=関ヶ原合戦によって最も多くの果実を得たのは徳川勢だった
「最も多くの果実を得たのは徳川勢ではなく、家康に同盟して東軍として戦った豊臣系武将たちであった」。
通説⑨=関ヶ原合戦後、豊臣秀頼は一大名に転落した
「これは(伊達)政宗から家康に進言した秀頼の地位をめぐる現状変更の提案である。現状変更の提案であるということは、現実がその逆であることについて贅言を要しないであろう。秀頼と豊臣家が関ヶ原合戦の後、一大名に転落していたとするならば、このような文書が出る余地はないということである。・・・関ヶ原合戦後における家康と徳川家の立場は盤石の態勢というには程遠いものがあった。そしてまた豊臣家と秀頼が合戦後には一大名に転落したとする従来の認識が妥当ではないということも明らかであろう」。
関ヶ原合戦に関心を持つ者にとっては、見逃せない刺激的な一冊です。