谷川俊太郎の詩が、意外に哲学的なことを知りました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2750)】
秋の万葉植物観察会に参加しました。万葉集に登場する植物の前で、リーダーの柳沢朝江さんが説明後、万葉集の和歌を読み上げ、皆が唱和します。例えば、コナラ(写真1)の場合は、「下つ毛野 みかもの山の こ楢のす まぐはし子ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ――東歌」(栃木県下都賀郡藤岡町の三毳山のコナラのように美しい娘は、誰の食器を持つのだろう<誰のお嫁さんになるのだろう>)といった具合です。クリ(写真2)、ムクロジ(写真3、4)、ヒマラヤスギ(写真5、6)、トチノキ(写真7)、タブノキ(写真8)、クサギ(写真9)、ヤブコウジ(写真10)、アキニレ(写真11)、オギ(写真12)、セリ(写真13)、ツクバトリカブト(写真14)、シロヨメナ(写真15)、ミツマタ(写真16)を観察しました。メンバーの紺野竹夫さんが撮影したムラサキシジミの雌(写真17)の写真をデジカメで写させてもらいました。ちょっぴり万葉人気分が味わえた半日でした。因みに、本日の歩数は15,401でした。
閑話休題、『となりの谷川俊太郎』(谷川俊太郎著、田原編、ポエムピース)で、とりわけ印象的なのは、谷川俊太郎の「大小」、「肩」、「死と炎」、「からだはいれもの」、「うつろとからっぽ」、「老いて一日は」――の6つの詩です。
●大小
「小さな戦争やむをえぬ 大きな戦争防ぐため 小さな不自由やむをえぬ 大きな自由守るため 一人死ぬのはやむをえぬ 千人死ぬのを防ぐため 千人死ぬのもやむをえぬ ひとつの国を守るため 大は小をかねるとさ 量は質をかねるとさ」。
●肩
「あなたの暖かいスエタアの 肩にもたれて 私は何も言わない あなたは何も言わない かくも美しく歌い出される モーツァルト 室の外で木々は葉を散らす 私はいつ死ぬのか 肌のぬくみだけで心は要らない そう思ったとき ふりむいてあなたがじっと 私をみつめているのに気づく」。
●死と炎
「かわりにしんでくれるひとがいないので わたしはじぶんでしなねばならない だれのほねでもない わたしはわたしのほねになる かなしみ かわのながれ ひとびとのおしゃべり あさつゆにぬれたくものす そのどれひとつとして わたしはたずさえてゆくことができない せめてすきなうただけは きこえていてはくれぬだろうか わたしのほねのみみに」。
●からだはいれもの
「からだはいれもの こころのいれもの いつかこわれて土にかえる 死ねばからだは役目を終える 夏のセミのぬけがらのように からだはこころを守っている こころはからだをいつくしむ 摘んだ花はすぐにしおれる 摘まずに見つめる花は長生き からだがほしいと思うものと こころがなりたいと願うもの ふたつはときにぶつかり合う 火と水のように」。
●うつろとからっぽ
「心がうつろなとき 心の中は空き家です 埃だらけクモの巣だらけ 捨てられた包丁が錆びついている 心がからっぽなとき 心の中は草原です 抜けるような青空の下 はるばると地平線まで見渡せて うつろとからっぽ 似ているようで違います 心という入れものは伸縮自在 空虚だったり空だったり 無だったり無限だったり」。
●老いて一日は
「老いて 一日は 旅 朝から 昼へ 己れに 躓き 昼から 夕へ 散らばる 心 幻の 明日の 星影」。
谷川の詩が、意外に哲学的なことを知りました。