ざっくりだが、小難しい哲学の一番の肝をずばりと眼前に示してくれる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2880)】
ニホンアカガエルの卵塊(写真1、2)、コゲラ(写真3、4)、ハクセキレイ(写真5)、ツグミ(写真6)をカメラに収めました。コブシ(写真7~9)、ミツマタ(写真10~12)、ホトケノザ(写真13)が咲いています。センダン(写真14)が実を付けています。我が家の庭の片隅でキズイセン(写真16)が咲いています。本日の歩数は11,029でした。
閑話休題、『8コマ 哲学――ざっくりわかる』(小川仁志著、まめ まんが、朝日新聞出版)は、ざっくりだが、小難しい哲学の一番の肝をずばりと眼前に示してくれる一冊です。
例えば、こんなふうです。
●バールーフ・デ・スピノザ――神の他には、いかなる実体も存在しない
「スピノザの思想には神があふれています。すべてが神なのです。これは『汎神論』と呼ばれる立場です。植物も動物も物もすべてが神。私たち人間もその一部だというわけです。神だけが実体であって、物事が存在するために他の根拠を必要としません」。
●フランシス・ベーコン――知は力なり
「具体的にいうと、アリストテレスが樹立した学問の体系を批判して、新しい学問を生み出そうとしたのです。・・・アリストテレス以降の学問は理屈を重視していました。しかし彼(ベーコン)は観察と実験を重視したのです。・・・この思考方法は帰納法と呼ばれ、後のイギリス経験論の端緒となったのです」。
●マルティン・ハイデガー ――自分の死に真剣に向き合う時、本来的な生に目覚める
「(ハイデガーは)死について前向きに考えた哲学者・・・自分の死をあらかじめ意識して受け入れる、そして死を覚悟して生きることを決意する。ハイデガーは、それこそが生きる上で大事なことだと考えたわけです。・・・日常生活に埋没することなく、人生を懸命に生きよう」。
●モーリス・メルロ=ポンティ――私の身体と世界は同じ肉でできている
「私たちはつい身体を道具のようにとらえてしまって、心こそが自分だと思う傾向があります。哲学の世界でもずっとそうだったんですが、メルロ=ポンティはそうした常識を覆した人物なんです。・・・このように身体の意義を重視するメルロ=ポンティは、さらに身体が世界の一部だとまでいい始めます。なんと身体は世界の『肉』だというのです。・・・私の身体は、自身の身体というだけでなく、世界の一部なのだ」。
●ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン――語り得ぬものについては、沈黙しなければならない
「彼(ヴィトゲンシュタイン)は、この世界の物事は、基本的に言語で表すことができて、その意味で言語と世界は対応関係にあると考えたのです。・・・そこでヴィトゲンシュタインは、そういった語ることができないものについては、哲学の対象にすべきではないとしたわけです。ヴィトゲンシュタインは後にこの前期の自分の思想を否定します。言葉は世界を写し取るものではなく、むしろ世界のあり方によって意味が変わってくるものだと主張したのです。これは前期の思想でいっていたことと正反対です。・・・人は会話しながら、その意味を解釈する言語ゲームを行っている」。
●クロード・レヴィ=ストロース――どの文明も、自己の思考の客観性を過大評価する傾向がある
「(当時の未開の社会の)全体構造を調べてみると、民族を存続させるための優れたシステムになっていたわけです。だから一部分だけとらえて、ただ遅れていると判断するのは間違っていると主張したのです。それが構造主義と呼ばれる思想です。・・・構造主義は物事を分析する枠組みとして大いに活用され、一大ムーブメントを巻き起こしました。・・・一部の現象ではなく、全体の構造に目を向けると本質が見える」。
●ジャック・デリダ――改善することは脱構築することを意味する
「デリダはポスト構造主義の旗手と称される、現代思想家の代表的な人物です。・・・(ポスト構造主義の)特徴としては。デリダに象徴されるように、『もうバラバラにしてしまえー』みたいな雰囲気です。・・・それは、近代まで当たり前のものとされてきた二項対立的な思考、価値観をあえてくつがえし、もう一度、一からつくり直そうとする思想でした。・・・既存の物事のあり方を解体して、一から新たに構築しよう」。
本書のように、分かり易く説明されると、哲学がぐーんと身近に感じられるようになりますね。