榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

著者自身の雪男捜索のドキュメント・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2913)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年4月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2913)

ハナモモの園芸品種・キクモモ(写真1)、ハナミズキ(写真2、3)、ニオイバンマツリ(写真4)、ハナズオウ(写真5)、シナレンギョウ(写真6、7)、ベニバナトキワマンサク(写真8)、ウキツリボク(アブチロン。写真9)、ウケザキクンシラン(写真10)、ヒマラヤユキノシタ(写真11)、オオイヌノフグリ(写真12、13)が咲いています。

閑話休題、『雪男は向こうからやって来た』(角幡唯介著、集英社)は、著者自身の雪男捜索のドキュメントです。

プロローグの一節――。「ひとりで雪男の捜索を始めてから1週間が過ぎた頃だった。朝起きて食事の仕度をしている時、わたしは白い巨大なキャンパスに一条の黒い線が引かれているのを発見した。それは明らかに何かの動物の足跡だった。足跡は雪崩で埋まった雪渓のすぐ近くから始まり、標高差が1000メートル以上あるグルジャヒマール南東稜の斜面を、上から下まで見事に貫通していた。群れではない。1頭である。放浪癖があるのか、その1頭の足跡は標高4500メートル以上の高みにまで続き、尾根の向こうに消えていた。あるいは尾根の向こうからやって来たのかもしれない。キャンプ地からでは詳細は判別不能であるが、二足歩行動物のものであるのは間違いなさそうに見えた。期待に胸が膨らんだ。ついに雪男の足跡を見つけたのか?」。

エピローグには、こうあります。「あの捜索が終わり短くない年月が流れた今、わたしは基本的にはコーナボン谷に雪男がいるとは考えにくいと思っている。・・・捜索に関わったひとりとして、わたしがそう思う根拠を挙げてみよう。わたしは生物生態学や古人類学、動物学、サル学、植物学などに関しては素人で、ここに述べるのは専門的な見地からではなく、あくまで捜索現場の印象をもとにした個人的な感想に過ぎない。そのような立場から、わたしが雪男の存在を肯定しにくい最大の根拠は、ある種の解釈の問題につきると言える。足跡にしろ、雪男の目撃談にしろ、これまで報告されたほとんどの雪男現象は、客観的には、例えばカモシカやクマといった従来の四足動物の見間違えで説明できてしまう気がするのだ。それらの報告が四足動物のものかどうかは不明であり本当に雪男のものなのかもしれないが、ここでわたしが言いたいことは、雪男の正体がカモシカやクマなどの四足動物であるということではなく、カモシカやクマなどの四足動物でその現象を説明しても説得力を持ち得るという点にある」。著者のこの率直な意見表明は好感が持てます。

これに続く著者の指摘は、人間についての鋭い洞察に基づいています。「わたしは自分が行った捜索や客観的な目撃談、あるいは足跡の写真の中に雪男の論理的な存在を認めることはできなかった。わたしは雪男の存在を、実際の捜索現場ではなく、接した人の姿の中に見たのだ。考えてみると、彼らとて最初から雪男を探そうとか、死ぬまで捜索を続けようとか思っていたわけではなかった。さまざまな局面で思ってもみなかったさまざまな現象に出くわしてしまい、放置できなくなったのが雪男だった。人間には時折、ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある。旅先で出会った雪男は、彼らの人生を思いもよらなかった方向に向けさせた。そこから後戻りできる人間はこの世に存在しない。その行きずりにわたしは心が動かされた。雪男は向こうからやって来たのだ」。

そういう雪男に取り憑かれた人間が何人も登場するが、雪男捜索中に雪崩に巻き込まれ死亡した鈴木紀夫のケースは、とりわけ胸に迫ってきます。