榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『伊勢物語』で悶々としよう、『徒然草』は隅に置けないぞ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2915)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年4月11日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2915)

モンシロチョウの雌(写真1、2)、コナガの幼虫(写真3、4)をカメラに収めました。パンジー(写真5、6)が咲いています。隣家では、サクラソウ(写真7~9)が独特の香りを漂わせています。我が家では、クルメツツジ(キリシマツツジ。写真10~12)、ラナンキュラス(写真13)、フクロナデシコ(写真14)が咲いています。

閑話休題、『リンボウ先生の なるほど古典はおもしろい!』(林望著、理論社)で、とりわけ興味深いのは、●『伊勢物語』は歌を語る物語、●『徒然草』は隅に置けないぞ、●日本文学のユーモア精神――の3つです。

●『伊勢物語』は歌を語る物語
「この話(第六十九段)の斎宮は水尾天皇の御世の御方で、文徳天皇の娘、惟喬親王の妹に当たる。この話は、伊勢の斎宮という、もっとも清浄であるべき巫女と、高貴な男の逢瀬という、ちょっときわどい話で、それだけに立場をわきまえて、恋しく思いながらも、最後の一線は越えぬままになったという話である。・・・伊勢に下って、斎宮という立場で伊勢神宮に奉仕している、その女を恋の相手として口説きわたるという話だから、これは当時とすればかなり際どいエピソードである。もしことが露顕すれば、国家的スキャンダルにもなろうかという事柄ゆえ、読者もハラハラしながら読んだことであろう。で、結局、同じ閨に一夜を過ごしながら、男と女は、たがいに恋しく思いつつも、最後の一線を越えることなく、我慢して過ごしたというのだが、その悶々たる思いは、いかばかりであったろうか。・・・ともあれ、通常は男が女の閨に通っていくのが、往古日本のあたりまえの恋の姿であったのだが、この話は、女が朧月夜の薄明かりのなか、男の閨へ通ってくるという形になっている。しかもそれが、男に逢うことは禁じられている伊勢の斎宮だという。印象的な美しいシーンで、想像するとちょっとわくわくするところだが、立場をわきまえて悶々と自重している男にとって、美しい斎宮が、わざわざ自室へ来てくれたことの、飛び立つような嬉しさは想像するに難くない。それでも、ふたりは結局互いの立場をわきまえて、ただしみじみと語り合うばかりで夜を明かしたというのである。・・・この物語の全体を読みたい人は、テキストはいろいろあるけれど、手軽なところでは、角川ソフィア文庫の、石田穣二訳注『新版 伊勢物語 付現代語訳』や、小学館の『日本古典文学全集』の福井貞助校注・訳の本などが読みやすいかと思う」。早速、『新版 伊勢物語 付現代語訳』を読まなくては!

●『徒然草』は隅に置けないぞ
「(第三段)――よろずの技芸に通暁して人並み外れた能力があったとしても、ただ一つ、『色好み』でないという男は、まことに物足りないことで、たとえて申せば・・・『底の無い宝玉の盃』のような心地がするというものだ。すなわち。露霜に濡れてよれよれになりながら、あちらこちらと女の許へ惑い歩き、親の諫めや世間の非難を思ってはおろおろし、ああしたらよかろうか、いやこうしたがよかろうか、など思い乱れて、しかしその結果として、どこの女の閨にも行かずに独り寝をする夜ばかり多く、展転反側して微睡むことすらできずに恋に心を苦しめている、そんなのが風情ある男というべきであろう。いやいや色好みと申しても、ただただ色事に溺れてばかりなんてのではなくて、仕事なども立派にやっているのだが、それでいて『あの方はあれでなかなか隅に置けないのよねえ』と、女たちに思われるというようなのが、男としてぜひこうありたいという姿であろうな。 ほんとうなら、色欲は捨てよ、煩悩のとりこになるな、と教えるのが仏教や儒学道徳の規範にほかならないのだが、法師であるはずの兼好が、こういうことを書いているのは、その立場には矛盾する。するけれども、一人の男として正直に申せばこういうことだ、という本心の発露が、この一段なのであろう。・・・兼好法師は、お坊さんでありながら、いやいや正直いえば、色欲は捨てきれるものではないし、そういう色欲ゆえに悩み苦しむところに、人間が生きていく味わいがあるのだよ、とこう主張しているのである。色欲はいけない、ぜひ自制してまじめに暮らせ、などというほうが、やはり不自然なのであるから・・・」。兼好は、なかなか話が分かる男だなあ。

●日本文学のユーモア精神
「連歌師の山崎宗鑑という人が、滑稽な短連歌を記録して編纂したのが、『犬つくば』という本である。・・・まずは巻頭第一番の組。<霞のころもすそはぬれけり 佐保姫のはるたちながらしとをして>。これはざっとこういう意味だ。『山々はまるで春霞の衣を着ているようだが、なぜかその裾が濡れているなあ』と、これに付けた付句は、『それは、春の女神の佐保姫が立ったままオシッコをしちゃったからでしょう』。まことについつい笑ってしまう付句ではないか。聖から俗へのあっと驚く落としかたのおもしろさ!・・・一事が万事、『犬つくば』は、こういう庶民的にして、下世話な、あられもないエロス的冗談やパロディで埋め尽くされているのである。さぞ昔の人たちは、これを読んで大笑いをしたことであろう。こういうのを挙げていけば切りがないが、興味をもたれた方は、角川文庫に『犬つくば集』として入っているので、それなど一読されるとよい」。もちろん、「読みたい本」リストに加えました。