榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

出アフリカしたサピエンスの拡散史を語る上で、縄文人は欠かすことのできない存在なのだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2928)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年4月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2928)

千葉・野田の清水公園で、新緑のイロハモミジ(写真1)と、色取り取りのツツジ(写真2~6)を堪能しました。フジ(写真7~9)、キショウブ(写真10~12)が咲いています。ミナミメダカ(写真13)が群れています。因みに、本日の歩数は16,251でした。

閑話休題、『古代ゲノムから見たサピエンス史』(太田博樹著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)の「古代ゲノムを書き替えたサピエンス史」の章によって、サピエンス史の全体像を俯瞰することができます。

個人的にとりわけ興味深いのは、「日本列島にたどり着いたサピエンス」の章です。

埴原和郎が1991年に提唱した二重構造モデルとは、①縄文人の起源については、旧石器時代の東南アジア人から新石器時代の縄文人と北東アジア人が分岐した、②現代のアイヌと沖縄の人々の系統的関係については、アイヌと琉球人は縄文人の直接の子孫である、③東ユーラシア大陸から日本列島への移住については、約2000年前に北東アジアから、おそらく朝鮮半島づたいに、大量に人が渡来した、④交雑については、本州では縄文人と渡来人の混血が進んだが、北海道と沖縄では、渡来人の遺伝的影響が少なく、縄文人の遺伝的影響が色濃く残った――というものです。

「神澤らと私たちの解析では、北海道の縄文人と本州の縄文人が、ともに北海道アイヌと強い遺伝的親和性を示していた。これは、埴原の二重構造モデルの2つめで言っている『アイヌは縄文人の直接の子孫である』という部分を強く支持する。また、現代の本州の人々のゲノムのうち10~20%が縄文人に由来するという点でも、一致していた。これは埴原の二重構造モデルの4つめで言っている『本州では渡来人の遺伝的貢献の程度が高い』という部分も強く支持している」。

「私たちのデータセットをもちいて作成した系統樹は、現代の東アジアや北東アジアの人々、それにアメリカ先住民も、東南アジアのヒト集団から分岐してきたことを示していた」。

「埴原の二重構造モデルと尾本と斎藤の修正モデル、そして篠田と安達の縄文人mtDNAハプロタイプ分析の結果は、互いに微妙に矛盾があるように見えていたが、IK002(本州の縄文人女性)を主役として東ユーラシア大陸でのヒト集団の形成史を解析してみて、全てに整合性があるように思われた。尾本と斎藤の修正モデルや篠田と安達の縄文人mtDNAハプロタイプ分析で、アイヌの人々は、北東アジアの人々と遺伝的親和性を示していた。これは、埴原の『縄文人は東南アジア起源』と一見矛盾するようであったけれど、ゲノムを調べてみると、東アジア人も北東アジア人も南回りルートの人々の子孫と考えて矛盾しない結果が得られた。つまり、どちらも間違っていなかったのだ。問題は、考古遺物から考えられるシナリオとのズレである。日本列島の後期旧石器時代から縄文時代に至る物質文化は、東南アジアよりも北東アジアの先史時代の文化と親和性を持っていることは既に述べた。現代の北東アジア人にはマリタ人骨MA-1からの遺伝子流動が有意に見つかった。ところがIK002のゲノムからはそれが見つからなかった。MA-1を北回りの代表と考えた場合、IK002からは北回りの要素は見つからなかったのである」。ただし、これで結論が出たわけではないと、著者は注意を促しています。

「出アフリカしたサピエンスの拡散史を語る上で、縄文人は欠かすことのできない存在なのだ」という著者の言葉が印象に残ります。