人生を終える瞬間に、あなたが聴きたい一曲は何という歌ですか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2961)】
ヨコハマヒザクラ(写真1、2)、ソラマメ(写真3)が実を付けています。チガヤ(写真4、5)の穂が輝いています。タイサンボク(写真6~8)、スイカズラ(写真9)、スイセンノウ(写真10、11)が咲いています。我が家の庭では、サツキ(写真13)、ガクアジサイ(写真14)が咲いています。
閑話休題、『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』(久世光彦著、文春文庫)で、とりわけ印象深いのは、●昭和枯れすすき、●カスバの女、●テネシー・ワルツ――を巡るエッセイです。
●昭和枯れすすき
「大正琴を伴奏に、哀れな歌だった。普通は歌詞の一番は情けなくても、二番、三番と進むうちに曙光ぐらいは仄見えてくるものだが、『昭和枯れすすき』にはそれがなかった。はじめからおしまいまで暗い、めずらしい歌だった。・・・この歌のミソは、何といっても、ド艶歌がハモるというところだった。・・・吉原の足抜け女郎と、兇状持ちのやくざ者に、人並みの幸せがやってくるはずがない」。「昭和枯れすすき」は私の大好きな歌です。この歌を歌うと、現在、自分が抱えている悩みなど大したことないではないか、という気持ちになれるからです。
●カスバの女
「見事な歌詞である。夜、雨、地の果て、酒場、女、薄情け――歌謡曲のエッセンスが過不足なく鏤められている。戦後の昭和30年に作られた『カスバの女』だが、別に(映画)『モロッコ』の主題歌ではない。けれど年輩の歌謡ファンなら、この歌に『モロッコ』のストーリーと、クーパーとディートリッヒという美男美女の顔を重ねて聴くに違いない。・・・『カスバの女』という歌は、いわゆる『古き佳き時代』の外国映画へのオマージュのようである。古い映画ファンは、この歌を口ずさみながら、若かった日の白黒映画を、青春の残像のように思い浮かべるのだ。『モロッコ』『望郷』『外人部隊』『ボージェスト』――どれだっていい。この歌はどの映画にも似合う。――あのころは若かった。若かったから向こう見ずだった。性質(たち)の悪い女と知っていて溺れた。酒の匂いの底に沈んで、目が覚めると太陽が眩しかった」。まさに久世光彦の言うとおりで、私も、この歌を歌いながら「モロッコ」のシーンを思い浮かべています。
●テネシー・ワルツ
「高校生の私は、『Patti Page』と表紙に書いたノートを、いつも通学鞄に入れていた。・・・パティ・ページの発音はとても明晰で、決して崩れることがなかった。レコード・ジャケットの顔も、とり立てて美人ではなかったが、ショート・カットのブロンドが爽やかで、ちょっと大きめの口から覗いている歯並びが、ピカピカ光ってきれいだった。いつの時代にも、その時代の歌があった。しかし私たちの世代にとって、『パティ・ページの時代』だけは特別だった。私たちはそのころ、少年から大人になろうとしていた。『テネシー・ワルツ』のパティ・ページは、ある雨の夜は、そんなに急いで大人にならなくてもいいのに、と囁いているようだったが、その夜が明けた秋の朝には、私といっしょに遠いところへいきましょう、と甘く誘っているようでもあった。私たちは、パティ・ページの歌の中で、絶え間なく揺れていた。揺れながら、戸惑いながら――それでも私たちは、大人の群れの中へ入っていった」。「テネシー・ワルツ」だけでなく、パティ・ページの「モッキン・バード・ヒル」もなかなかいいぜ。