編集者エッツェルとバルザックの関係、出版業者ガリマールとプルーストの関係とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2972)】
ホンコンエンシス(常緑ヤマボウシ。写真1~3)、サボテン(写真4、5)、アナベル(写真6)、ハルシャギク(ジャノメソウ、ジャノメギク。写真7)が咲いています。近所の、植物に造詣の深い西田さんの庭では、ホタルブクロ(写真8、9)、シロタエギク(ダスティ・ミラー、セネシオ・シネラリア。写真10)、ヤグルマギク(写真11)が咲き競い、クロタネソウ(ニゲラ・ダマスケナ。写真12)が花と実を、カキ(写真13)が実を付けています。我が家では、コクチナシ(写真14、15)が咲き始め、芳香を放っています。我が家の庭師(女房)が、コクチナシは蕾をたくさん付けているので、これから楽しめると喜んでいます。ナツツバキ(写真16)も咲いています。
閑話休題、『編集者の読書論――面白い本の見つけ方、教えます』(駒井稔著、光文社新書)で、個人的にとりわけ興味深いのは、●編集者ピエール=ジュール・エッツェルとオノレ・ド・バルザックの関係、●出版業者ガストン・ガリマールとマルセル・プルーストの関係、●『マーク・トウェイン自伝』――についての3つです。
●エッツェルとバルザック
<(エッツェルは)バルザックとは、その巨大な連作の金字塔たる『人間喜劇』の刊行者という、編集者として歴史的役割をになうことになるのだ>と、私市保彦の大作『名編集者エッツェルと巨匠たち――フランス文学秘史』から引用しています。「この文章を最初に読んだ時には、そうか、そうなんだと驚きました。『バルザック<人間喜劇>セレクション』を持っている(だけの)人間としても、これは感激します」。
●ガリマールとプルースト
『失われた時を求めて』が一度はボツにされたことが明かされています。「(若い)ガリマールは、劇作家協会代表の家を訪問した際に、ある出会いに恵まれます。向こうから歩いてくる奇妙ないでたちをした魅力的な男性に会うのです。その男性を代表が紹介してくれました。・・・これこそが、あのプルーストとの出会いでした。後にガリマール書店から、20世紀文学を代表する作品『失われた時を求めて』が刊行されることになるとは、この時は二人ともまったく予想もしていなかったでしょう。・・・やがて、あのプルーストから『失われた時を求めて』の原稿を託されます。しかし、原稿審査会では、(アンドレ・)ジッドの発言とされる『どこもかしこも公爵夫人だらけだ。これはわれわれ向きではないな』ということでボツになったのです。フランス文学の世界では有名なエピソードですが、ガリマールたちは後にこれを大きな過ちだと認めます。ジッドも同じように自らの誤りに気づいて、プルーストに謝罪します。・・・こうしてプルーストの作品は、NRF(『新フランス評論』)出版部、すなわちガリマールによって刊行されていくのです」。
●マーク・トウェイン
裏話もたっぷりの『マーク・トウェイン自伝』では、彼の作品に登場する黒人奴隷や少年にはモデルがいたことが明かされているというのです。「『ハックルベリー・フィンの冒険』に出てくる(逃亡奴隷の)ジムには、実際のモデルがいたのです。これを知った時は、なるほどと思いました。そしてジムの描き方に込められたトウェインの共感と優しさも理解することができました。・・・(トウェインの家にいた)サンデーという黒人奴隷の少年にも、それこそ『トム・ソーヤーの冒険』のなかで塀を白ペンキで塗らせようとしたが、うまくいかなかったと書いています。・・・そして、『トム・ソーヤーの冒険』のあのインジャン・ジョーも実在したのです。実在のインジャン・ジョーは、洞窟のなかで道に迷い、蝙蝠がいなかったら餓死していたかもしれない状況に置かれたことがありました。彼はその時のことをトウェインに残らず話しました。『トム・ソーヤーの冒険』のなかでは、彼を餓死させましたが、それはあくまで小説のなかの出来事で、現実にあったことではないとトウェインは書いています。これもとても興味深いエピソードです。ハックルベリー・フィンにもモデルがいたことが分かります。トム・ブランケンシップという少年です。<『ハックルベリ・フィンの冒険』ではトム・ブランケンシップをあるがままに描いたつもりである。彼は無知な少年で、風呂に入ったこともなければ腹いっぱい食べたこともなかった。だが、誰にも負けないぐらい素晴らしい心を持っていた>」。
本書のおかげで、読みたい本が2冊見つかりました。
●『ムッシュー・プルースト』(セレスト・アルバレ著、三輪秀彦訳)「(プルースト宅の)家政婦が残したプルーストに関する回想録があります。これは素顔のプルーストを語った非常に興味深い本です」。
●『グランド・ブルテーシュ奇譚』(オノレ・ド・バルザック著、宮下志朗訳)「バルザックといえば、『ゴリオ爺さん』などの長編を思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、どうして短編もとても面白いのです」。「怖い小説でしょう? バルザックの筆遣いのうまさは、この短編を一気読みさせてしまいます」。