榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

毛沢東は、日中戦争中、蒋介石を弱体化させようと、日本軍と極秘裏に手を結んでいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3010)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年7月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3010)

ゴーヤー(写真1~4)が花と実を付けています。ムクゲ(写真5)、コムラサキ(写真6)、グラジオラス(写真7)が咲いています。ミナミメダカ(写真8、9)、オナジマイマイと思われる個体(写真10)、シオカラトンボの雄(写真11)をカメラに収めました。

閑話休題、『毛沢東――日本軍と共謀した男』(遠藤誉著、新潮新書)には、俄には信じ難いことが書かれています。

「(日中戦争において)毛沢東が最大の敵としたのは国民党の蒋介石である。毛沢東は、国民党軍にできるだけ真正面から日本軍と戦わせ、機が熟したら、消耗しきった国民党軍を叩き自分が中国の覇者になろうと計算していたのだ。そのため1939年、毛沢東は潘漢年という中共スパイを上海にある日本諜報機関『岩井公館』に潜り込ませ、外務省の岩井英一と懇意にさせた。岩井英一は潘漢年から国民党軍に関する軍事情報をもらって、その見返りに高額の情報提供料を支払っている。最も驚くべきは、潘漢年が毛沢東の指示により、岩井英一に『中共軍と日本軍の間の停戦』を申し込んだことだ」。

「1936年(実行は37年)以来、形の上だけだが第二次国共合作(国民党と共産党が協力して日本軍と戦う)をしていたので、中共軍が国民党軍の軍事情報を得ることは、たやすいことだった。一方、日本が日中戦争において戦っていたのは『中華民国』の蒋介石政権である。だから、日本側としては国民党軍に関する軍事情報を得られるのは戦争を有利に運ぶうえで、非常にありがたかったにちがいない。毛沢東は1936年に西安事件(中国では西安事変)を起こして蒋介石を騙し、国民党軍が中共軍を叩けないようにしておいてから、『合作』を理由に国民党政府の禄を食み、軍服や武器を国民党政府から支給されながら、国民党軍の軍事情報を日本側諜報機関に売っていた。中国民族を売り、人民を裏切っていたのである。毛沢東は実に頭のいい、希代の戦略家であったということができよう」。

「毛沢東の密令により、潘漢年が接触したのは日本の外務省系列だけではない。当時の陸軍参謀にいた影佐禎昭大佐(のちに中将)とも密会し、汪兆銘(中国では汪精衛)傀儡政権の特務機関『76号』とも内通している。すべて『中共軍との和議』を交渉するためだ」。

なお、潘漢年は、1949年に中華人民共和国が誕生して間もなく、毛沢東によって逮捕投獄され、1977年に獄死しています。毛沢東の策略をあまりにも知り過ぎた男は、売国奴としてその口を封じられてしまったのです。

「毛沢東が信奉したのはマルクスレーニン主義ではなく、マルクスレーニン主義を利用した『帝王学』なのである。毛沢東にとって重要なのは人民ではなく、党であり、自分だった。自分が天下を取ることだけに意義がある。そのためなら何でもする」。

1941年、中国生まれの日本人である著者の遠藤誉がこう主張するのは、彼女の単なる憶測ではなく、確かな資料に基づいています。その資料とは、①岩井英一の回顧録、②毛沢東の中共内の政敵・王明の手記、③蒋介石の回顧録――の3つです。

私事に亘るが、私は1945年1月に中国・上海で生まれ、敗戦直前に母、母の両親に連れられ(父は従軍中)、日本に引き揚げてきた日本人です。