榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』から私が学んだ3つのこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3100)】

【月に3冊以上は本を読む読書好きが集う会 2023年10月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3100)

高木と高木の間を忙しく飛び回る7羽ほどのエゾビタキを撮影しようと3時間粘ったが、このような写真しか撮れず、残念(写真1~4)。セグロセキレイ(写真5)、コサギ(写真6)、ダイサギ(写真7)、ミナミトゲヘリカメムシ(写真8、9)をカメラに収めました。

閑話休題、『オルテガ 大衆の反逆』(中島岳志著、NHK出版・NHK 100分de名著)から私が学んだことが、3つあります。

第1は、ホセ・オルテガ・イ・ガセットが言う「リベラル」とは、自分と異なる他者と共存しようとする冷静さ、あるいは寛容さといったものを意味している。

「『大衆』が支配する時代においては、そうした姿勢が失われつつあるのではないかというのが、オルテガの指摘でした。『大衆』という言葉が使われていますが、これは一般的にイメージされるような階級的な概念とはまったく異なります。オルテガはまた『大衆』の対極にある存在を『貴族』と呼んでいますが、これもお金をもっている人や、ブルジョア、エリートといった意味ではありません。過去から受け継がれてきた、生活に根付いた人間の知。あるいは、自分と異なる他者に対して、イデオロギーを振りかざして闘うのではなく対話し、共存しようとする我慢強さや寛容さ・・・。そうした、彼の考える『リベラリズム』を身に付けている人こそが、オルテガにとっての『貴族』であったのです」。

第2は、オルテガは、死者たちの英知を無視して、現代の大衆は自分たちが特権的な階級であるかのように勘違いしていると指摘している。

「オルテガは、こうした『貴族的精神』が、大衆社会の中でどんどん失われていると考えていました。そして、そのことによって、民主制そのものが非常に危うい状況になっていると指摘したのです。そして、この問題を考えるときにオルテガが重視したのが、『死者の存在』です。私たちの社会には、過去の人々が失敗に基づく経験知を通じて構築してきた、さまざまな英知があります。それによって、私たちの行動や選択は一定の縛りを受けている。つまり、すでにこの世を去った『死者』たちの存在が、現代や未来に対する制約になっていると言えるでしょう。そのことを、私たち人類は当然のこととして受け止めてきた。ところが現代――オルテガが生きた時代、ということになりますが――の大衆は、その死者の存在をまったく無視して、いま生きている自分たちが何か特権的な階級であるかのように考えている。そして、自分たちだけで何でも物事を決められるかのように勘違いしている。そうした時代は非常に暴走しやすいというのが、オルテガが抱いた危機感だったのです」。

第3は、オルテガは、近代は、立憲主義の考え方を取り入れて、「死者とともに民主主義を行っていく」という英知を投げ捨てていっていると主張している。

「民主主義と立憲主義は、元来どうしても相反するところのある概念です。民主主義とは、いま生きている人間の多数決によってさまざまなことが決定されるシステム。対して、たとえいまを生きる人間が決めたことでも、してはならないことがあるというのが、立憲というシステムなのです。いくら多数決に支持されようと、少数派を抑圧してはならないし、守られるべき人権を侵してはならない。それは『死者からの制約』があるからです。そうした立憲主義の考え方を取り入れて、『死者とともに民主主義を行っていく』ことが、いわば文明の英知だったはずなのに、近代はその英知を投げ捨てていっている。これは暴走にほかならない、というのがオルテガの主張でした」。

「自分と真っ向から対立する人間をこそ大切にし、そういう人間とも議論を重ねることが重要なのだ」、「立憲主義を忘れた民主主義、つまり多数者の見解だけによって正しい進歩が成し遂げられるという傲慢な発想こそが民主制を危うくする」というオルテガの思想を、安倍晋三や菅義偉は知らなかったのでしょうね。