関東大震災を経験した著者の、地震発生から数日間のドキュメント・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3155)】
我が家の庭の餌台「カラの斜塔」には、シジュウカラ(写真1~3)やスズメ(写真4)たちが入れ替わり立ち替わりやって来ます。イチョウの落葉は黄金の絨毯を敷き詰めたようです(写真5、6)。クリスマスが近づいてきましたね。
閑話休題、『羊の怒る時――関東大震災の三日間』(江馬修著、ちくま文庫)は、小説の形をとっているが、実態は、著者自身が経験した関東大震災発生から数日間のドキュメントです。
著者と親交のある近所に住む朝鮮人の大学生・李と苦学生・鄭が二人がかりで、崩れた屋根の下敷きになっていた日本人女性と乳児を助け出します。「『鄭さんと李さん、・・・奥さんと赤ん坊と二人まで助け出してほんとにお手柄でしたよ』と四十位な奥さんが彼等を祝福するように言った。・・・『もうこんな時は朝鮮人も日本人も、自分の子も他人の子も区別ありませんよ。唯一つの尊い命なんです。僕自身の家はあんなになったけれど、それでも嬉しいです。ねえ、李君』。『ほんとだ』と言って、李君はまた赤ん坊に眼をやりながら、徐ろに幸福そうな微笑を浮かべた」。
「T君が側へやってきてはあはあ言いながら、『あれは君、本当ですかね、朝鮮人が一揆を起して、市内の到る処で掠奪をやったり凌辱をしたりしているというのは。あそこで話してた人なんかは、少女を辱しめて、燃えてくる火の中へ投げこむのを見たと言ってますぜ。だから市内では、朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差支えないという布令が出たと言ってましたがね。まんざら出鱈目でも無いようでしたよ』」。
「未だに色々に揣摩はされるけれど、その起源をはっきりと知る事のできない恐ろしい流言は、最初こんな風にして自分達の所へ伝わってきた。重大な報知の場合いつもそうであるように、初めのうちこそ人々の間でひそひそと語られていたが、いつとなくあちらでもこちらでも『朝鮮人、朝鮮人』と昂奮しきった烈しい語調で言っているのが聞こえた。驚くべき事には少なくとも自分の見る所ではこの流言は何の疑いもなく人々に受け納られた、それこそ、まるでそういう場合の有り得る事を誰しも充分予感して信じていたかのように」。
「フト少年が誰かに大きな声でこんな事を言っているのが自分の耳に入った。『あそこの交番に朝鮮人がひとり拘留されているよ』。『どんな人?』と自分は思わず聞いた。『うん、学生だよ。ここいらでよく見る奴だよ。多勢でひっ張って来たんだ』と彼は面白そうに答えた」。
「そうして歩いている間にも、自分は到る処で朝鮮人について、憎悪と昂奮とをもって話し合われるのを聞いた。彼等の或るものは、横浜に於ける朝鮮人の暴状がいかに烈しい酷なものであるかを声高にしゃべっていた。それによって初めて自分は、この騒動はこの土地ばかりでなく、広い範囲に亘って行われているものである事を知った」。
「焼跡に立って路を探している時、不意に自分は側近くで人々の罵り騒ぐ声をきいた。『朝鮮人だ、朝鮮人だ!』。『そうだ、朝鮮人に違いない!』。『やっつけろ!』。『ぶっ殺してしまえ』。見ると、十人ばかりの群集が、三、四人の若い学生を取囲むようにして、口々にそう罵り喚いているのであった。学生達はまさしく朝鮮人であった」。
著者は、蔡という朝鮮人苦学生を自宅に匿います。この蔡は、著者が本書の原稿を校正している間に、日比谷公園で毒を呑んで自殺してしまいます。
群集心理の恐ろしさが惻々と身に迫ってくる一冊です。