「先生、大変なことが起こりました」が、山中伸弥の研究の出発点・・・【MRのための読書論(84)】
中身がぎっしり
こんなに文章量が少ないのに、こんなに中身がぎっしり詰まっている本は珍しい。『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(山中伸弥著、聞き手・緑慎也)は、3つの魅力を備えた、MR必読の書である。
iPS細胞とは
魅力の第1は、この本を読めば、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の過去・現在・未来が明快に理解できること。
ES細胞を医療に応用する上で大きな障壁になっていた倫理的問題と免疫拒絶問題をiPS細胞が解決したこと、iPS細胞の応用で期待できるのは、①再生医療、②病態モデルによる難病などの原因解明、③難病などの治療薬の開発――の3つであることなどが、分かり易く述べられている。
当面の課題として、iPS細胞のストック(在庫)を作ることと、iPS細胞の安全性を高めること――に全力を挙げている。これには、iPS細胞の技術を、一日も早く患者たちの役に立たせたいという著者の思いが籠もっているのだ。
超難関の仕事には
魅力の第2は、誰もが達成困難と見做すような難しい目標に挑戦し、それを成功させるのに必要な考え方と方法論が学べること。
著者が研究の虜となるきっかけは、人生初の薬理学の実験で、指導を受けていた先生に「先生、大変なことが起こりました。先生の仮説はまちがっていましたが、すごいことが起こりました」と報告したところ、その先生も一緒になって興奮してくれたことであった。著者は、この実験から3つの教訓――①科学は驚きに満ちている、②予想外のことが起こるからこそ、新薬、新治療法を、準備なしにいきなり患者に使用することは絶対にしてはならない、③先生の言うことをあまり信じてはならない――を学ぶのである。
米国で指導を受けた研究所長からの「研究者として成功する秘訣はV(Vison)W(Work hard)だ。研究者にとってだけでなく人生にとっても大切なのはVWだ」という言葉は、その後の著者の人生指針となる。そして、定めたヴィジョンが「ヒトの胚を使わずに、体細胞からES細胞と同じような細胞(=iPS細胞)を作る=分化した体細胞を巻き戻す初期化因子(あるいは初期化因子をコードしている遺伝子)を探す」であった。著者は「科学技術は必ず進歩するので、いまは到底不可能と思われることでも、理論的に可能なことはいずれ必ず実現する」と考えているのだ。また、「やるかやらないかの選択を迫られたとき、やらなくて後悔するくらいなら、やってから後悔しよう」というチャレンジ精神を持ち、万事塞翁が馬という長期的視野に立っている。
そして、「アメリカ留学中に学んでおいてよかったと思うのがプレゼン力です。(プレゼンテーションと論文のゼミを受けた)おかげで、プレゼンの仕方はもちろん、論文の書き方も変わりましたし、大袈裟にいえば、人生も変わりました。アメリカで身につけたプレゼン力が、その後、ぼくを何度も窮地から救ってくれることになります」と述懐している。
どういう人なのか
魅力の第3は、山中伸弥という人物の人間性が、数々のエピソードを通して生き生きと伝わってくるので、あたかも昔からの知り合いかのような錯覚を覚えてしまうこと。正直言って、私はこの人物に惚れ込んでしまった。
「iPS細胞樹立の立役者は、徳澤さん、一阪さん、そして高橋君の3名です。ぼくではありません」、「それこそ、『なんで自分がこんな目に遭わなあかんのか』っていいたくなるのは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)なとの難病を患う方たちのほうだと思います。ぼくらががんばったら、彼らの苦しみを少しでも減らせる可能性がある」、「ぼくは医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最期は人の役に立って死にたいと思っています。(死んだ)父にもう一度会う前に、是非、iPS細胞の医学応用を実現させたいのです」といった言葉から、その奥行きのある人間性と、明確な目的意識が伝わってくるではないか。
戻る | 「MRのための読書論」一覧 | トップページ