榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

カール・グスタフ・ユングは、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』をどう読んだのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3172)

【読書クラブ 本好きですか? 2023年12月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3172)

アカゲラの雌(写真1~4)、バン(写真5~8)、バンとオオバン(写真9、奥がバン)、バンとコサギ(写真10、左がバン)、コサギとハシボソガラス(写真11、奥がコサギ)、ヒドリガモの雄と雌たち(写真12)をカメラに収めました。雨天以外は毎日、地元の野鳥観察を続けているOさんが、育てた大きなダイコンを畑から抜いて渡してくれたので、我が家の料理人(女房)は大喜び(写真13、14)。1カ月かかったけれど、何とかクリスマスに間に合ったと、我が家のパッチワーク・キルト職人(女房)がホッとした表情を浮かべています。因みに、本日の歩数は13,131でした。

閑話休題、正直言って、私はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が大嫌いです。読み終えるのに、相当の我慢を強いられました。そこで、カール・グスタフ・ユングは『ユリシーズ』にどういう印象を持ったのか知りたくて、『ユング、<ユリシーズ>を読む』(カール・グスタフ・ユング著、小田井勝彦・近藤耕人訳、小鳥遊書房)を手にした次第です。

読み始めたら、「絶望的な空虚さが、この本全体の主調なのである。無で始まり無で終わるだけではなく、徹底して無から成っている。すべてがひどく無意味である。この本の芸術手腕の技の面から見るならば、正真正銘見事であり、かつ忌まわしいモンスター誕生である」とあるではありませんか。

「内心絶望しながら135ページまで読み、途中で二度居眠りした。ジョイスの文体は驚くほど多種多様であるため、単調で眠気を誘う効果がある。読者に届くものは何もない。何もかもに背を向けられ、読者は茫然とするばかりである。この本は絶えず動き回って、じっと安らぐことがなく、皮肉、辛辣、毒があり、軽蔑的で、もの悲しく、絶望的で、苦々しい」。「この尋常ではない不気味なジョイスの精神の特徴は、彼の作品が冷血動物の類、とりわけうじ虫の科に属していることを示している」。「そう、私はうんざりし、腹が立った。この本は読むに足らないだろう。どこにも私の気に入ろうとするものがなく、読者に劣等感を覚えさせるばかりである」。「この永久の孤独、この目撃者のない進行、根気強い読者に対するこの腹だたしい非礼の説明がつくだろうか。ジョイスは私の悪意をかき立てた。自己の愚鈍をもって読者に対峙すべきではない。しかし、これこそ『ユリシーズ』が成し得ていることなのである」。「ジョイスはなるほど私を退屈させるが、それこそ最低の陳腐でも生み出せないような邪悪で危険な退屈さである」。「この本には魂のあるようなものは何もなく、温かい血のすべての分子は冷やされている。出来事は凍りついたエゴイズムで過ぎていく――それに出来事といったら! いずれにせよ楽しいもの、晴れ晴れするもの、わくわくするものは何もなく、灰色で、忌まわしい。ぞっとする、哀しい、悲観的で皮肉なものばかりである」。「少し読むとがっかりしいらいらしてまた脇へ置いてしまった。今日でもまだその当時と同様それは退屈させる」。「今日まで保持されてきた美と意味の基準を破壊しようとして、『ユリシーズ』は奇跡を成し遂げている、それはおきまりの感情をすべて馬鹿にし、意味と内容への予想を裏切り、あらゆる推論をあざ笑う」。ユングが難儀しながら『ユリシーズ』を読み進めたことを知り、私と同じだと、ほくそ笑みました。ユングは、よくぞ、私の言いたいことを言ってくれたと快哉を叫びました。

ところが、何ということでしょう。読み進めていくと、このような記述に出くわしたのです。「『ユリシーズ』は私たちの時代における人間の記録であり、それ以上のものである。それが秘密である。この作品は精神的に縛られていたものを解放することができ、その冷徹さは一切の感傷――そのうえ正常な感情までを――髄まで凍らせるというのは真実である。しかし、これらの健全な効果を及ぼしたあと力尽きることはない」。「ユリシーズはジョイスにとっての創造神、物質的・精神的世界におけるもつれから自らを解放し、解放された意識でそれらの世界を熟考することに成功した真の創造神である。人間ジョイスに対するユリシーズは、ゲーテに対しるファウスト、あるいはニーチェに対するツァラトゥストラである」。「ジョイス風の作品で否定的なものはすべて、冷血、奇怪、鎮撫、グロテスク、そして悪魔的なもののすべては、称賛に値する肯定的な価値であると今では思える。さなだむし風に這っていく文節で明らかになるジョイスの信じられないほど豊かで多面的な言語は、ひどく退屈で単調きわまるが、この退屈と単調こそ叙事詩の壮大さを獲得しており、この本をつまらない人間世界の不充分さとその狂気じみた悪魔的な伏流を描いた『マハーバーラタ』たらしめているのである」。『マハーバーラタ』とは、サンスクリット語で書かれた古代インドの叙事詩で、インド思想の宗教哲学的聖典です。

そして、最後は、「結びの言葉。私の『ユリシーズ』の読みは今はかなり良くなっている」と結ばれています。

ご覧のとおり、この論文を読む限り、ユングは、最初の鋭い批判はどこへやら、いつの間にか『ユリシーズ』を好意的に評価し始めています。『ユリシーズ』に対する厳しい見方を、ユングに期待し過ぎた私がいけなかったのです。