「当たり前革命」を推し進める徳田虎雄がますます好きになりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3242)】
ツグミ(写真1)をカメラに収めました。シンビジウム(写真2~5)が咲いています。我が家の餌台「空中楽園」にやって来たメジロ(写真9)です。
閑話休題、『虎雄とともに――徳田秀子が支えた医療革命』(松下隆一著、PHP研究所)を読んでよかった!というのが、私の率直な感想です。
徳田虎雄が創設した徳洲会病院グループが患者寄りの前代未聞の医療機関であること、元手のない33歳の一勤務医に過ぎなかった虎雄が徳洲会病院を開設しようとした経緯、それを妻・秀子が献身的に支えたこと、22年前に発症したALS(筋萎縮性側索硬化症)を虎雄と秀子がどう受け止めているか――が分かったからです。
「今では病院が75、診療所(クリニック)が33、介護老人福祉施設が40、特別養護老人ホーム13、介護医療院1、訪問看護ステーション61、その他の介護施設約200といったように(2023年5月現在)全国に病院や施設が開設されたのだった。また、アフリカやアジア諸国など、医療資源の乏しい国々に対し、人工透析機を寄贈したり、現地の医療従事者を研修生として国内の徳洲会病院に受け入れるなどして国際貢献もしている。こうして虎雄と秀子の夢に共感し、支えるスタッフの努力、頑張りもあって、国内のみならず、世界にも大きく羽ばたいていったのである」。
「世間では虎雄のことを風雲児、異端児、変わり者と呼んで特別視するが、実は当たり前のことをやろうとしている人にすぎないのである。たまたま当たり前のことをやろうとする人が極めて少ないから、彼は特別な人間だと思われてしまうのだ。人間は弱いから、数が多い方になびく。その方が安心するからである。恐ろしいのは、それが間違っていてもなびくことだ。ましてやお金を与えられ、地位を与えられ、生活の安定を与えられるとなれば、間違ったこと、自分の意に反することでも受け入れる。だが虎雄はそんな利己的な保身を一顧だにせず、一切妥協しなかった」。
「虎雄の『当たり前革命』について、秀子はこう語っている。『真実を真実として、当たり前のことをしなきゃならない人間として。(虎雄は)必死にいつも、いつも生きて来たという、私はそれしかないと思いますね。そして振り返れば、結果が残って来たということじゃないかなと。自分の人生を考えてもそう思いますし、どこかで私が<もういいや>って諦めていたら、今の人生はなかったなっていつも思うんですね』」。
徳田虎雄がますます好きになりました。そして、秀子も。