ハプスブルク家がオーストリアを支配することになったのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3246)】
【読書クラブ 本好きですか? 2024年3月5日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3246)
冷たい雨が降っているが、我が家の餌台「空中楽園」には、メジロ(写真2~4)、シジュウカラ(写真5、6)がやって来ます。
閑話休題、ハプスブルク家がオーストリアを支配することになったのはなぜか、長らく疑問に思ってきたが、今回、『図説 オーストリアの歴史(増補改訂版)』(増谷英樹・古田善文著、河出書房新社・ふくろうの本)が、その答えを教えてくれました。
「オトカルはドイツ王の地位を望んだが、教皇や選帝侯の反対で果たせず、西方の諸侯との対立は続いた。ようやく1273年のドイツ王の選挙に際して、選帝侯たちは弱小のハプスブルク伯ルドルフをドイツ王に選出し、オトカルに対抗させようとした。ルドルフは長い交渉の決裂後、1276年にバイエルン軍とともにウィーンに進軍してオトカルを破り、ウィーンの和議によってオーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテンを奪還した。オトカルはボヘミアに再封土されたが、1278年に再度軍を率いてルドルフに挑んでマルヒ川の戦いで戦死した。オーストリアなどの地域は最終的にハプスブルク家に与えられ、その後のハプスブルクの支配を通してオーストリアの歴史に組み込まれていく」。
「マリア=テレジアはオーストリアの歴史のなかで最も知られた女性であり、現在においてもオーストリア国民の歴史のなかで最も多く言及される人物である。彼女は息子のヨーゼフ2世とともに、ハプスブルク支配領域を中央集権的な国家として統合しようと試み、19世紀のオーストリア=ハンガリー二重帝国の基礎を築き、その後継国家であるオーストリア国家の基盤を形成したと理解されているからである」。よく知られているように、フランスのルイ16世と結婚したマリー・アントワネットはマリア=テレジアの末娘です。