辻山良雄の『門』の書評には脱帽です・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3259)
ミツマタ(写真1、2)、アカバナミツマタ(写真3)が濃厚な香りを放っています。
閑話休題、『ことばの生まれる景色』(辻山良雄文、nakaban絵、ナナロク社)では、辻山良雄が自ら選んだ本についての文章を書き、nakabanがその本からイメージを膨らませた絵を描くというスタイルで、40作品が取り上げられています。
私にとってとりわけ印象深いのは、フランツ・カフカの『城』、山之口貘の『山之口貘詩集』、夏目漱石の『門』――の3つです。
●『城』
「カフカは(主人公の)Kが『城』に近づけないさまを、まるで喜んでいるかのように執拗に描く。読んでいるあいだは見えない手により小突き回され、不当に笑われている、といった感覚に見舞われながらも、物語はある女との諍いを最後にして、唐突に終わってしまう・・・。これがひどい小説でなければ、いったいなんだというのか」。カフカは、読み手を困惑させることに無上の喜びを感じるトリックスターだというのが、『審判』と『城』を読み終えた私の結論です。敬愛する辻山良雄が同じような見方をしているとは、嬉しいなあ。
●『山之口貘詩集』
「ためらいがちに放たれる自虐的な笑いのなかには、権力に与しない毅然とした精神が、背筋を伸ばして存在していた。このような詩を前にすると、自分がどうも人を笑う側に立っているような気がして、落ち着かなくなる。他人を笑うものは、笑っている自らの滑稽さに気がつかない。山之口貘の詩は、そうした読むものへとはねかえってくる批評的な視線を常にはらんでいる。親しみやすいが油断できない、まったく『かなわない』詩人である」。辻山にここまで言われては、この詩集を読まないで済ますわけにはいきませんね。
●『門』
「漱石は、人生の暗がりにいるときに、読むのがいい。調子がよいときには見えてこない人の世の情景があり、後ろむきになりながらも前に進む遠まわりの諧謔がある。そのような漱石の小説のなかでも『門』は、『都会の片隅で、お互いだけを見つめながら、ひっそりと暮らす夫婦がいる』ことが、特に印象に残る作品である。世間から遠ざかり、その世間からも忘れられた夫婦は閉じた円のようであり、その円だけを見れば充分に満ち足りている。現代の騒々しい世のなかにも、同じようにお互いをいたわりながら、つつましく暮らしている男女の姿もあるのだろう。『何か隙あらば、爪痕の一つも残してやろう』と考える人物ばかりが目立ついま、『門』に見られる<消極的な充足感>は稀有であり、尊い姿のように思える」。この書評には脱帽です。既読の『門』を、無性に、また読みたくなってしまったからです。
辻山の「書評+絵」の試みは見事に成功しています。比べるのは僭越だが、私は「書評+野鳥・昆虫・植物などの写真」をブログに毎日掲載することを9年間続けています。