榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紫式部の文才は、学問や諸芸に秀でた具平親王によって育まれた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3306)】

【読書の森 2024年4月30日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3306)

ユリノキ(写真1、2)、ガマズミ(写真3)、モッコウバラ(写真4~9)、カロライナジャスミン(写真10、11)、ハゴロモジャスミン(写真12、13)、モミジバゼラニウム(写真14)、イースターカクタス‘セタス’(写真15)、が咲いています。我が家の庭師(女房)から、一重のラナンキュラス(写真16)が咲いたわよ、との報告あり。

閑話休題、『紫式部の実像――稀代の文才を育てた王朝サロンを明かす』(伊井春樹著、朝日選書)は、藤原道長が紫式部に<中務の宮わたりの御ことを、御心に入れて、そなたの心寄せある人とおぼして>(『紫式部日記』)と言ったことが出発点となっています。

道長は、紫式部が具平(ともひら)親王と特別な関係にあるのを重視し、長男・頼道と具平親王の娘・隆姫との結婚に向けて助力を頼んだのです。

村上天皇第七皇子で、学問や諸芸に秀でた具平親王は縁戚関係にある紫式部の才能を喜び、さまざまな教えを授けるとともに、『源氏物語』執筆にも深く関係していたと推考しています。

紫式部は、娘・賢子の健やかな成育と幸せの願いを込め、短い物語『若紫物語』を書いたが、これを具平親王が異母姉の大斎院選子内親王に見せた、そして、この短篇が『源氏物語』の元になったと、著者は考えているのです。

選子やライヴァルの中宮・定子の文化的サロンと比肩できるようなものを中宮・彰子の下にも形成したいと願っていた道長が、紫式部に彰子の女房となることを望んだことはよく知られています。

そして、紫式部が女房として出仕後、道長や具平親王に強く求められ、若紫が紫上へと成長するように、『源氏物語』は長篇として書き継がれていったというのです。