榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

埴原和郎の二重構造モデルは見直しが必要だというのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3340)】

【読書の森 2024年6月3日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3340)

スギの20mほどの高さの所に作った巣で子育て中のサシバ(写真1~6)を、極力刺激しないように遠くから双眼鏡で観察しました。雛を見守っている雌は時折飛び立ち、獲物を捕まえて巣に戻り雛に与えます。また、雄が時折運んでくる獲物を受け取り、雛に与えています。囀るホオジロの雄(写真7、8)、カルガモの親子(写真9~11)、シオカラトンボの交尾(写真12。上が雄)、シオカラトンボの雄(写真13)、オオシオカラトンボの雄(写真14)、モリチャバネゴキブリ(写真15、16)をカメラに収めました。キノコに詳しいHさんから、ハリガネオチバタケ(写真17)、キノコの溢液現象(余分に吸い上げた水分を排出する現象。写真18)を教わりました。因みに、本日の歩数は11,904でした。

閑話休題、『弥生人はどこから来たのか――最新科学が解明する先史日本』(藤尾慎一郎著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)の著者が読者に伝えたいことを、私なりに3つにまとめてみました。

第1は、最新科学の成果を反映して、縄文時代と弥生時代の開始年代が改められたこと。

縄文時代は土器の出現を指標に約1万6000年前に、弥生時代は水田稲作の始まりを指標に約2800年前に大きく引き上げられました。2022年までの高校の日本史の教科書に書かれていたよりも、縄文時代は約3500年、弥生時代は400年余り古く始まったことになります。また、弥生時代は、これまでの前期・中期・後期の3時期区分から、前期の前に早期を加えた4時期区分へと変更されました。

これらの変更は、AMS–炭素14年代測定法という手法の導入、古環境や弥生人のDNAの酸素同位体比年輪年代法や核ゲノム分析といった自然科学と考古学との学際的研究によるものです。

第2は、埴原和郎の二重構造モデルは見直しが必要であること。

埴原の二重構造モデルでは、東南アジアの旧石器時代人を祖先とする現代日本人は、列島内部での集団の同一化が及んだ縄文人と、北東アジアの新石器時代人を出自とする水田稲作と金属器を使用する渡来系弥生人という、ルールを異にする2つの集団が九州北部を中心に混血して、その後も混血を継続してでき上がったと考えます。

現在では、DNA分析の結果、3~2万年前に複数のルートで入ってきた後期旧石器時代人の子孫が縄文人と考えられ、中国北部や遼寧地域系のDNAを持つ韓半島青銅器文化人が渡来人と考えられています。さらに、ミトコンドリアDNA分析の結果、弥生時代開始期における在来(縄文)系弥生人集団は均一な集団ではなかったことが明らかになっています。

弥生時代人は、在来(縄文)系弥生人、西北九州弥生人、渡来系弥生人という多様な核ゲノムの人々から構成されていたことが分かっています。縄文人が非常に狭い範疇に限定されているのと比べれば大きな違いです。

少なくとも1万1000年前からほぼ固定されていた縄文人の核ゲノムを受け継いだ在来(縄文)系弥生人と、約7000年前の新石器時代から既に多様な核ゲノムを持つ人々によって構成されていた韓半島出身の人々とが混血することによって、弥生人が誕生したのです。

第3は、弥生時代とは、灌漑式水田稲作と、水田稲作という経済基盤に支えられた青銅器文化の融合体だということ。

渡来人は、九州北部に水田稲作だけでなく、社会の質的転換ももたらしました。

武器のなかった社会に武器を持ち込み、諍いには武器を用いて解決を図るという政治的手段を行使する社会、それが弥生時代なのです。