ダーウィン進化論は時代遅れなのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3344)】
ダイサギ(写真1~3)、チュウサギ(写真4~9)をカメラに収めました。我が家では、アジサイ(写真10~13)、ガクアジサイ(写真14~16)が咲いています。
閑話休題、ダーウィンの進化論とは「生存競争における自然選択による進化」だと考える人が多いだろうが、実際はそうではないと、『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?――進化の仕組みを基礎から学ぶ』(河田雅圭著、光文社新書)は述べています。近年の科学の進歩により新たな事実や考えが追加され、進化のメカニズムは単純ではないことが明らかにされており、「生存競争における自然選択による進化」というだけでは、進化機構のほんの一部しか理解したことにならないというのです。
なお、本書では、集団中で頻度を変化させていくDNA配列を「アレル」というあまり聞き慣れない用語で説明しています。
ダーウィン進化論は時代遅れなのか――この問いに対する河田雅圭の答えは明快です。現在では、もともとのダーウィン進化論や総合説(ネオ・ダーウィニズム)からは想像できなかったような生命現象や進化現象が明らかになっている、総合説が想定したよりも多様で複雑な進化メカニズムが働いているというのです。「突然変異と自然選択(あるいは遺伝的浮動)によって生じる」と単純には説明できないというのです。しかし、ダーウィン進化論の基盤となる点は、そのまま現在の進化学でも通用しており、ダーウィン進化論は時代遅れになることなく、その重要な理論的基盤をもとに発展してきたと結論を下しています。この結論を得て、熱烈なダーウィン・ファンの私は胸を撫で下ろしたところです。
本書のおかげで、進化に関する最新知識を詳細に学ぶことができました。
個人的に、とりわけ勉強になったのは、下記の4つです。
●DNA配列の変化に依存しないで遺伝子制御情報が伝えられるエピジェネティク遺伝によって、生物の一生涯で変化したものが次世代に伝わることがある。しかし、「生物は、生存のために必要な変化を一生涯で獲得し、それが遺伝する」わけではなく、ラマルク流の考えを支持するものではない。
●自然選択は、主に個体の生存や繁殖を向上させる方向に生物を進化させる。その結果として、集団や種の存続が促されたりする。しかし、「種を存続」させるように自然選択などの進化プロセスが作用することはない。「種の保存のための進化」、「種属維持のための進化』という表現は誤りである。
●「遺伝子は、自らのコピーを残すのに都合のよい個体の性質を進化させた」というドーキンス流の利己的遺伝子の見方は、進化のプロセスを正しく表していない。適切な意味での利己的遺伝子は、DNA配列自体の持つ性質で、自らの配列のコピーを増やしていく転移因子などの利己的遺伝子に限るべきである。
●キリンの首の進化のように、進化の途中の過程において中間型が存在しないと思われていたが、近年、化石標本の解析から中間の首の長さを持つ化石種が同定された。例えば、その一つの種であるSamotherium majorは、首の短いオカピと長いキリンのちょうど中間くらいの首の長さであった。そのほかの化石種も含めて見てみると、首の長さは突然長くなったのではなく、中間段階を経て長く進化していった可能性が指示された。
進化論に関心がある人にとっては、必読の一冊です。