辺境の蛮国と見做されていた秦の政(始皇帝)が中華統一を成し遂げることができたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3386)】
うだるような暑さの東京・文京の小石川後楽園は静寂に包まれています。ハナショウブの株分けが行われています(写真8、9)。ハス(写真10)、オニユリ(写真11)が咲いています。マガモの雄の若鳥(写真12)、不鮮明だが、パトロール中のギンヤンマの雄(写真13~16)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,545でした。
閑話休題、『世界史のリテラシー 「中国」は、いかにして統一されたか――始皇帝の六国平定』(渡邉義浩著、NHK出版)を読むと、●辺境の蛮国と見做されていた秦の政(始皇帝)が、ライヴァルの6国を次々と滅亡させ、中華統一を成し遂げることができたのはなぜか、●始皇帝が創り上げた帝国が、始皇帝没後ほどなく滅亡してしまったのはなぜか、●その後の歴代帝国に脈々と伝えられた秦の遺伝子とは何か――という3つの問いに対する答えが得られます。
個人的には、3つのことを感じました。
第1は、秦を中国史上初の帝国たらしめるのに大いに貢献した法家の「信賞必罰」(気に食わない者であっても功を挙げれば必ず賞を与え、目を掛けている者であっても罪を犯せば必ず罰すること)という思想を帝国経営の基本に据えたことの功罪です。私が組織のリーダーであった時代、この「信賞必罰」の運用で頭を悩ませた経験があるからです。
第2は、始皇帝は帝国の維持は望んでいなかったという著者の主張に対する違和感です。著者の言うように、自らの不老不死が第一優先事項であったとしても、始皇帝ほどの人物が帝国の維持を考えなかったとは思えないのです。
第3は、帝国のあり方について秦の失敗から次代の漢が学び、隋の失敗から次代の唐が学んだという指摘、秦の遺伝子が後代の各帝国を通じ、現代の中華人民共和国にまで受け継がれているという指摘には、目から鱗が落ちました。