ホッブズもルソーも、その亜流のダイアモンドもハラリも間違っていると主張する大胆不敵な書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3417)】
見慣れないバッタがいるわよ、と撮影助手(女房)が指差す先にいたのは、イボバッタの雌(写真1~4)でした。そこに、シラヒゲハエトリ(写真2)がのこのこと近づいていきました。あちこちで、キバナコスモス(写真5、6)が咲いています。







閑話休題、参考文献のページも含めると699ページある『万物の黎明――人類史を根本からくつがえす』(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ著、酒井隆史訳、光文社)を読み終えた瞬間、そんなに面白い本なら、著者が言いたいことを私でも3分で分かるように短くまとめてよ、と女房から言われてしまいました。
そこで、乱暴過ぎるという非難は覚悟の上で、人類学者デヴィッド・グレーバー+考古学者デヴィッド・ウェングロウの主張を3つに整理した次第です。
第1は、私たちの遠い祖先を、利己的で闘争好きな存在とした『リヴァイアサン』のトマス・ホッブズも、自由で平等な無邪気な存在とした『人間不平等起源論』のジャン=ジャック・ルソーも、間違っているというのです。そこから導かれた、ホッブズのそういう人間に対しては強力な国家・君主が必要だという考え、ルソーの文明化が人間から本来の自由を奪ったという考えも、間違っている、これらはホッブズやルソーの想像力が生み出した仮説に過ぎず、何ら科学的な裏付けがないというのです。
第2は、大本が間違っているのだから、ホッブズの考えを引き継いだ『わたしたちの本性のよき天使たち』のスティーヴン・ピンカーや、ルソーの考えを引き継いだ『銃・病原菌・鉄』のジャレド・ダイアモンド、『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリも間違っているというのです。
第3は、世界各地のフィールドワークを始めとする近年の諸研究から得られた知見に基づき、人類学的見地と考古学的見地の双方から、著者は私たちの遠い祖先の実態をこのように捉えています。「未発達な、あるいは孤立した集団ではなく、多様な生態系を横断する、遠く離れた諸社会のネットワークであった。人間、植物、動物、薬物、貴重品、歌、観念などで構成された生態系であって、それらの諸要素がもろもろの生態系のあいだをはてしなく複雑なやりかたで往来していたのである。個々のユニットは人口的には小規模――とくに特定の季節においては――であったが、ゆるやかな同盟や連合体に組織されているのが一般的であった。すくなくとも、これらはわたしたちの最初の自由の論理的帰結であった。たとえ故郷を離れたとしても、どこか遠くの地で受け入れられ、ケアを享受し、さらには尊重してもらえることがわかっているのだから」。すなわち、人類はその初期から、複数の異質な社会組織とその性質を熟知し、そのあいだを往復できる、柔軟性をもった成熟した存在、自覚のある政治的主体であったというのです。
この考えは、クロード・レヴィ=ストロースやロバート・ローウィの考えに近いと言ってよいでしょう。
本書は出版された時点で既に古典といった風格を備えた稀有な著作です。