歴史学者・呉座勇一と評論家・輿那覇潤の縦横無尽な対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3437)】
ヘクソカズラ(写真1)が咲いています。トウガラシのバーズアイチリ(写真2)が実を付けています。
閑話休題、対談集『教養としての文明論――「もう西洋化しない」世界を見通す』(呉座勇一・輿那覇潤著、ビジネス社)では、歴史学者の呉座勇一と評論家の輿那覇潤が、梅棹忠夫、宮崎市定、井筒俊彦、高坂正堯、丸谷才一の著作について縦横無尽な議論を展開しています。
個人的に、とりわけ興味深いのは、●奈良時代と平安時代の違い、●江戸時代の中央集権と明治時代の中央集権、●モンゴル帝国は寛容な帝国、●メッカ期のイスラームとメディナ期のイスラーム、●改宗を強制しないイスラーム、●「鎌倉新仏教」から「戦国仏教」へ、●本居宣長の「もののあはれ」――の7つです。
●奈良時代と平安時代の違い――長屋王の変や恵美押勝の乱のように、貴族同士で殺し合ったのが奈良時代。藤原氏の覇権が確立された平安時代は、権力闘争はあるが政敵を左遷するに止まった。
●江戸時代の中央集権と明治時代の中央集権――江戸時代の身分制を廃止した明治維新を、日本人は「近代化(西洋化)」と見做すが、明らかに明治時代のほうが江戸時代よりも「中央集権」の体制になった。
●モンゴル帝国は寛容な帝国――チンギス・ハーンが略奪者だったという通説は、後世に西洋で生まれた虚像に過ぎず、実際のモンゴル帝国の支配は間接統治に近い、緩やかなものだった。
●メッカ期のイスラームとメディナ期のイスラーム――メッカ期のイスラームでは、預言者ムハンマドの存在はそう大きくなかった。一人ひとりの信徒が個人の資格で、一対一の関係で神との契約を結ぶイメージだった。いわば実存主義的な宗教だった。ところがメディナ期になると、現世を生きる信徒はまず神の「代理人」としてのムハンマドと契約を結ぶ。結果として、ムハンマドと契約したものはみな同胞・兄妹と見做すような共同体が組織される。すなわちイスラームは組織神学としての宗教へと大きく転換する。
●改宗を強制しないイスラーム――イスラームでは、イスラームを信奉しない「啓典の民」はジズヤ(人頭税)を払えば信教の自由を許された。井筒俊彦は、それを宗教的な寛容というよりも、むしろサラセン帝国(アッバース朝ほか)の財源として捉えている。
●「鎌倉新仏教」から「戦国部教」へ ――日本中世史の学界では、もう「鎌倉新仏教」という呼び方をしない。親鸞や日蓮の教団は弱体で、鎌倉時代にはほとんど力を持たない新興カルトだった。浄土真宗や日蓮宗が社会的な影響力を持ち始めるのは戦国時代で、そのため、これらの宗派を「戦国仏教」と呼ぶ研究者もいる。
●本居宣長の「もののあはれ」――宣長の有名な「もののあはれ」論は、『源氏物語』帚木巻の「雨夜の品定め」に出てくる「もののあはれ」の一節を、強引に普通の読みと正反対に解釈している。この解釈を是とするのは、もはや宣長への信仰と言える。