『おくのほそ道』には、フィクションがかなり含まれているんだって・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3453)】
茨城の「葛城の森」での植物観察会に参加しました。タコノアシ(写真1)、イトイヌノヒゲ(写真2)、タデ科の植物――ニオイタデ(写真3、4)、ボントクタデ(写真5)、イシミカワ(写真6)、ウナギツカミ(写真7)――、ヒヨドリバナ(写真8)、サワヒヨドリ(写真9)、ヒメジソ(写真10)、ツリガネニンジン(写真11)を観察しました。アメリカセンダングサ(写真12、13)の実は「引っ付き虫」です。
閑話休題、『名著の話――芭蕉も僕も盛っている』(伊集院光著、KADOKAWA)は、NHK・Eテレで放送中の「100分de名著」シリーズで準司会役を務めている伊集院光と専門家との放送後の対談集です。
「100分de名著」は欠かさず見ている大の気に入り番組で、伊集院は私の数少ない好きな芸人の一人です。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』を巡る対談も、期待を裏切らない内容です。
●(長谷川櫂)先生の解釈のように、(芭蕉が)映像として撮れないものを詠んでいるとなると話が違ってきますね。・・・目に見えようが見えまいが、心が思い描いたものを写すのが言葉なのだから、昔の俳人は映像を遥かに超えているわけですよ。
●面白いのは、芭蕉もまた、自分の行動にフィクションを入れているところです。・・・弟子として旅に同行した曾良の日記から、(芭蕉に同行してほしいと申し出た)そんな遊女はいなかったことがわかったそうですね。
対談相手の専門家・長谷川が、曾良の日記を皆が読めるようになったのは昭和18年のことで、曾良の日記が出てきたことで、芭蕉が単に旅の記録としてではなく、旅を素材にして文学として『おくのほそ道』を書いたことがはっきりしたと応じています。
<一つ家(や)に遊女も寝たり萩と月>は、私の好きな句の一つだったのに・・・。
●(松島でも句を)載せればいいと思うんだけど、なぜ載せなかったんでしょうか。・・・芭蕉になぞらえるわけじゃないけど、予定調和になるより、むしろ外したり入れなかったりするほうがリアリティが出る。
●なるほど、(芭蕉が)構成や編集に気を遣っていることがわかります。読者がどう読むかということをかなり細部まで考え抜いている。実はこの話も長谷川さんに聞いて驚いたことのひとつなんですけど、芭蕉は旅を終わってからかなり長く編集構成をやり続けているんですよね。
伊集院の面目躍如ですね!