榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

72歳の世阿弥が、足利義教によって佐渡へ流されたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3579)】

【読書の森 2025年1月21日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3579)

ヤマガラ(写真1~5)をじっくりと観察することができました。カワラヒワ(写真6)、ツグミ(写真7)、シロハラ(写真8、9)をカメラに収めました。セイタカアワダチソウ(写真10)が実を付けています。ウメ(写真11)が咲き始めました。因みに、本日の歩数は11,927でした。

閑話休題、能の天才にして、能の大成者として知られる世阿弥が、晩年に佐渡へ流されたのはなぜか、長年、気に懸かっていました。

このほど手にした『世阿弥――能の本を書く事、この道の命なり』(西野春雄著、ミネルヴァ書房・ミネルヴァ日本評伝選)が、この疑問に答えを与えてくれました。

●世阿弥は、3代将軍・足利義満に寵愛されたが、6代将軍・足利義教は、世阿弥でなく、世阿弥の甥・元重を寵愛した。すなわち、佐渡へ流される前から、世阿弥は逆境に置かれていた。

●1432年8月、世阿弥が<子ながらも類なき達人>、<祖父にも越えたる堪能>と高く評価し期待していた嫡子・元雅が急死(32歳?)してしまい、70歳の世阿弥を落胆させる。

●1434年5月、72歳の世阿弥が、足利義教によって佐渡へ流された。その理由は、いまだ解明されていない。

●佐渡配流の理由については諸説あるが、著者は、義教が許可していないのに、気に食わない日野義資の許へ参賀するなど言語道断と激怒して、世阿弥を佐渡配流に処したと考えている。すなわち、世阿弥は、義教が義資を殺した参賀事件の巻き添えを食ったというのである。義教は、意に染まぬ者たちを片っ端から死罪、流罪、放逐、所領没収に処したため、万人から恐れられた暴虐将軍だった。

●世阿弥が赦されて都へ帰還できたかについても解明されていない。諸説あるが、著者は、2年余り後に赦免されて帰還したと考えている。

●1441年6月、義教は赤松満祐に暗殺された。享年48。

●1443年8月、世阿弥没。享年81。

「役者、作者、劇詩人、音楽家、演出家、理論家、座の統率者を一身に備えた、この稀有な天才は、かつての花やかさとは対照的に、不遇のうちにその生涯を閉じたものと思われる」。