榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

世阿弥の顧客重視の教え、そして、逆境の切り抜け方・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1995)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年9月30日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1995)

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閑話休題、『座右の世阿弥――不安の時代を生き切る29の教え』(齋藤孝著、光文社新書)は、世阿弥の『風姿花伝』と『花鏡』の奥深い言葉を分かり易く解説しています。

「世阿弥の考える最高の芸のあり方とは、観客に面白いと思ってもらえること、喜んでもらえること、でした」。

「世阿弥は、けっして順風満帆、自信たっぷりの人生を送ったわけではなく、むしろ先の見えない不安と闘いつづけていた人です。苦節、逆境いろいろありながらも、世阿弥は前を向いて道を歩むことをやめませんでした。淡々と、能に情熱を注ぎつづけるのです。74歳で佐渡送りになってもなお、能への思いは熱く、その火は消えなかったと言われています。ひたすら『花』を追い求めて強い心で生き抜いた。・・・世阿弥がとなえたのは、一生涯、張り合いを失わずに生ききるための心の持ち方、生き方の美学でもあります」。

●秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず(花は隠しておくことに意味がある、秘すればこそ花になるのだ)。「思いがけない感動を与える手段、それこそが飽きられない秘訣になるわけです」。

●花と、面白きと、珍らしきと、これ三つは同じ心なり(「珍しい」と驚く、その意外さが面白さであり、花なのである)。物数を尽して、工夫を得て、珍らしき感を心得るが花なり(いろいろな演目を学んで、工夫を凝らして、見る人の心に、つねに珍しい、新鮮だという思いを湧き起こさせることが肝要。そこに芸の花が咲く)。

●一切の事に序・破・急あれば、申楽(さるがく)もこれ同じ(すべてのことに序・破・急がある)。「序が導入部、破が本編の展開部、急が結び、という3部形式で考える」。

●狂ふ所を花に当てて、心を入れて狂へ(人の心を鷲づかみにするには、心を入れて物狂うことです)。「人間の情念がほとばしっているさまに、人はなぜか心惹きつけられます」。

●目を前に見て、心を後に置け。離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり(独りよがりに陥らないために、心の眼をうしろに置くことが肝要だ)。「具体的には、もうひとりの自分が、少し離れた後方から全体を見渡すような意識を持つ。すなわち、俯瞰視点を持つということ」。

●一期の境ここなり(一生の分かれ目はここだ、と胆力で乗りきれる者は強い)。「ここが踏ん張りどきだ、と肚を据える。挫けないぞ、これだけは一生捨てないんだ、という気構えを持つ――」。

●能数を持ちて、敵人の能に変りたる風体を、違へてすべし(レパートリーを増やし、ライバルに差をつけろ)。「芸の引き出しはたくさん持て」。

「自分でつくるといっても、ゼロから全部オリジナルでつくらなければいけないと考える必要はないということが、世阿弥の(複式夢幻能の)発明からもわかります。・・・古きよきもの、時代を超えて人々を感動させているものを土台にすることで、根拠のしっかりしたよい内容のものができる」。

●他の風体を嫌ふなり。これは、嫌ふにはあらず。ただ叶はぬ諍識なり。風体・形木は面々各々なれども、面白き所はいづれにも渉るべし(ほかのやり方を否定してはいけない、どんなやり方も面白いものは面白いのだ)。

●時の間(ま)にも、男時(おどき)・女時(めどき)とてあるべし。因果の花を知ること。極めなるべし。一切皆因果なり(男時あれば女時あり、時運に抗わず、めぐりくる好機に備えよ)。「何ごとにも運不運の波がある。・・・女時のときは無理にあがくのではなく、むしろ力をセーブして時運がまわってくるのを待ち、男時を迎えたところで勝負に出ろ、ということ。女時とは雌伏のとき、男時とは雄飛のときと考えるといいと思います。・・・勝負ごとに限らす、人生のさまざまな出来事に対して『男時・女時』という発想を持つと、メンタルを整えやすくなるのではないでしょうか」。

「何事にも、柔らかく反応し、その都度、求められるものに応じようとする姿勢を失わない」。

「自分の人生に対して、『舞台に立っている』という意識を持って臨むことが、とても大事なのではないかと私は思います」。

「(世阿弥は)ネガティブな状況に対して、思考停止することなく、『ならば何ができるのか』と考えることで、自分を一段成熟させていく。だから、新しいものを生み出していくことができたのです」。

世阿弥が現在の世に出現したら、その日から、超一流コンサルタントとして大活躍することでしょう。