時空を隔てた本居宣長とマルティン・ハイデガーとの関係とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3623)】
【読書の森 2025年3月7日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3623)
カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真1~4)、カワヅザクラ(写真5~7)、タイワンツバキ(学名:ポリスポラ・アキシラリス。写真8)が咲いています。ヒヨドリ(写真2)が吸蜜しています。
閑話休題、論文集『比較文明学の50人』(小倉紀蔵編著、筑摩選書)の「本居宣長――新たな『いのちの思想』の構築者」(岩澤知子著)には、目を疑うようなことが書かれています。
18世紀の日本の本居宣長と20世紀のドイツのマルティン・ハイデガーは時空を隔てているが、思想的には同類だというのです。
●宣長のことばの発生(=思考の発生)を巡る哲学は、ハイデガーのことば「言語は存在の住家である」を我々に想起させる。
●宣長は上古の『古事記』、『源氏物語』のことばが当時の人々のこころを伝えていると考え、ハイデガーはソクラテス以前の古代ギリシア語が西欧の意識の古層を成していると考えた。
●宣長の「もののあはれをしるこころ」とは、こころと現象世界が触れ合ったとき「感ずるこころ」、「事にふれて動くこころ」を意味している。この「あはれ」には、悲しい気持ちだけでなく、怒りや喜び、楽しみや憎しみなど、ありとあらゆる感情が含まれる。そのこころの動きに正直に生きるのが「人の道」だと、宣長は考えた。