もうすぐあちらに行ってしまう老人でも読みたくなる本とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3624)】
【読書の森 2025年3月8日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3624)
ヒヨドリ(写真1)、ムクドリ(写真2~4)、スズメ(写真5)をカメラに収めました。コゴメイヌノフグリ(写真6)が咲いています。我が家の庭師(女房)から、うちでもキズイセン(写真7)が咲き出したわよ、との報告あり。
閑話休題、エッセイ集『生きるための読書』(津野海太郎著、新潮社)で、とりわけ印象深いのは、「数学芸人と幼い子の未来――森田真生」です。
「否応なしに『現在に染みこんでくる[不透明で不気味な]未来』を正面に見据えながらも、それに押しつぶされることなく、どうすればそうした環境下でも『喜びを感じて<いきいきと>生きていけるか』――その術(すべ)を日々さぐることをやめない。そう決めて暮らすことこそが、いま森田(と同時にモートン)が考える『これまでとは別の生き方』、つまり宇宙規模での『屈辱』への対し方のようなのです」。この「屈辱」という語は、ティモシー・モートンというアメリカの哲学者・生態学者の『ヒューマンカインド――人間ならざるものとの連帯』という本から森田真生が引いてきたものです。
「私はもうすぐあちらに行ってしまう老人だから」と言いながら、津野海太郎は47歳年下の森田に共感を表明しています。
私も、もうすぐあちらに行ってしまう老人だが、森田が数式なしで書き上げた数学史絡みの本『数学する身体』と、日記エッセイ『僕たちはどう生きるか』を無性に読みたくなってしまいました。