榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「倫理」は、思った以上に人生の役に立つことを思い知らされました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3628)】

【読書の森 2025年3月12日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3628)

もういちど読む山川倫理PLUS日本の思想編』(小寺聡著、山川出版社)で、個人的に、とりわけ興味深いのは、●見るべきほどのことをば見つ=平知盛、●悲しきかな、いかがせん=法然、●もののあはれの花を咲かせん=本居宣長――の3つです。

●平知盛
源氏軍に敗れ、壇ノ浦の海に消えた知盛の「見るべきほどのことをば見つ」という言葉は、私たちが人生の終着点を迎える時の一つの目標になると、著者は言います。私たちはこのような言葉を語れるほどに力を尽くして人生を生き切り、愛し、感謝し、満足して一生を終えたいものだというのです。

●法然
「悲しきかな、いかがせん」と苦悩した法然は、殺生を生業とする漁民や狩人、さらに武士や遊女など罪を犯して生きざるを得ない人々にも、仏の救いは平等に与えられると説きました。中世社会の差別や偏見、貧困や不安に苦しむ人々に、自分たちは仏から見捨てられていない、受け容れられているという自己肯定感を与えようとしたのです。遊女から「私どものような汚れた生活を送る者も救われるでしょうか」と問われた法然は「そのままで念仏しなさい、仏は罪を犯さざるを得ない人々のために救いの誓いを立てられたのだから、敢えて自らを卑下することはない」と答えたのです。

●本居宣長
宣長は『源氏物語玉の小櫛』で、『源氏物語』の本質は「あはれ」の美を表現し、それを味わうところにあると説きました。「あはれ」と感ずべきことに出会った折に、その感ずべき風情をちゃんと知って感ずるのが「あはれを知る」だというのです。宣長は、世間の掟や道徳から自律した文芸こそが、言葉によって美の世界を創造するのだと主張したのです。

それほど知られていない人物にまで目配りの利いた稀有な一冊です。