榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『平家物語』で悪役にされた平清盛の実像に迫る一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3762)】

【読書の森 2025年7月12日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3762)

シジュウカラの若鳥(写真1)の鳴き声で目が覚めました。オニユリ(写真2)が咲いています。赤い実を写していたら、女主が、黒く熟すと美味しいですよ、とブラックベリーを味見させてくれました。

閑話休題、『平 清盛(新装版)』(五味文彦著、吉川弘文館・人物叢書)の著者・五味文彦は、平清盛は『平治物語』、『平家物語』などの軍記物語では悪役、あるいは臆病者として描かれることが多いが、同時代の貴族の日記や慈円の『愚管抄』などの歴史書、説話集などには、それと異なる姿が記されていると述べています。

著者は、清盛は、常に政治的な脱皮を繰り返しながら、武家の地位を確立させた人物、実力で政権を奪う時代としての中世を切り開いた人物と高く評価しています。それゆえに、後世の武人政治家――源頼朝、足利義満などは清盛を範としたというのです。

興味深いことに、清盛自身が範とした人物も挙げられています。平治の乱までは父・平忠盛、平治の乱後は信西、二条天皇の死後は藤原忠実、安徳天皇の外祖父となってからは白河院――を範としたというのです。

個人的に、とりわけ印象に残ったのは、「清盛=白河院の落胤」説が否定されていることです。父・忠盛が白河院に寵愛された祇園女御に仕える中で、祇園女御の妹との間に清盛を儲け、清盛はその母の死後に祇園女御の庇護の下で育ったことから、この説が生まれたのだろうと、著者は推考しています。

『平治物語』は、敵の源義朝に攻められた時、清盛が臆病になって、鎧を逆様に着けたというエピソードを記しているが、著者は後世の創作だと主張しています。『愚管抄』に清盛の勇姿が生き生きと描かれているからです。

『平家物語』に記された孫・平資盛と摂政・松殿基房との間で生じた諍いをテーマとする「殿下乗合事件」では、清盛が報復をし、それを息子・平重盛が諫めたことになっているが、実際に仕返しをしたのは重盛であり、清盛ではなかったことが、九条兼実の日記『玉葉』、貴族の日記などを抜粋・編集した歴史書『百練抄』、『愚管抄』などの記述に基づき明らかにされています。著者は、「清盛は重盛の行動を苦々しく思っていたに違いない」とまで言っています。

清盛のイメージを一新する、説得力ある一冊です。