本書のおかげで、ヴァイキングの全体像を俯瞰することができた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3850)】
昨夜の就寝直前の月は「中秋の名月」ならぬ、「薄雲月」でした(写真1)。エゾビタキ(写真2~8)をカメラに収めました。キンモクセイ(写真9、10)が香り始めています。フジバカマ(写真11~13)は、アサギマダラを迎える準備が整いつつあります。因みに、本日の歩数は11,906でした。
閑話休題、『ヴァイキング解剖図鑑――中世ヨーロッパを席巻した「海の覇者」』(小澤実監修、造事務所編著、エクスナレッジ)のおかげで、もう一つはっきりしなかったヴァイキングの全体像を俯瞰することができました。
●ヴァイキングの研究は、文献調査だけでなく、考古学、炭素14年代測定法、気候変動研究、DNA分析、花粉分析といった新しい調査技術によって次々と塗り替えられている。本書は2025年時点の最新研究の成果を踏まえている。
●ヴァイキングは、今から1000年以上前の北欧を出自とし、その武力と船舶の力で、アメリカ大陸から中央アジアまで独自のネットワークを作り上げた北方ゲルマン系集団である。北方ゲルマン人とは、スカンディナヴィア半島やユラン半島、およびその周辺の島嶼部など、現代、北欧と総称される地域に居住していたゲルマン人である。史料によってはノルマン人とも称される。ヴァイキングはコロンブスよりも早くアメリカ大陸に到達していたのである。
●8世紀から11世紀にかけて、およそ300年に亘って、ヴァイキングは、掠奪、交易、植民などの活動を進出先で試み、古ノルド語という独自の言語が通じるコロニーをあちこちに打ち立て、ローマ教皇やビザンツ皇帝といった当時の最高権力者らとも渡り合った。彼らは軍船を駆って他の船や沿岸部の町を襲撃した。こうした海賊行為はヴァイキングを定義づける主要な要素だが、それだけを生業としていたわけではない。故郷では農業や牧畜、狩猟などに従事し、海外では交易も行っていた。
●ヴァイキングは国家を形成し、10世紀の半ばごろにはデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国の原型が成立した。
●スウェーデンのビルカにあるヴァイキング戦士の墓地に埋葬されていた遺骨は、長らく男性と思われていたが、2017年にDNAを解析した結果、女性であることが判明した。現在なお論争が続いているが、ヴァイキングの戦士は、必ずしも男性だけではなかった可能性もある。
●ヴァイキング活動とは他者の富を奪い、仲間内で分配することを目的としていた。航海に出たヴァイキングは、それが交易目的であったとしても、他の船や近郊の都市を襲い、貨幣や宝飾品を始めとする財物を掠奪することがあった。ヴァイキングは、捕虜とした人々を自分たちの農場で使役するだけでなく、奴隷として売却することもあった。現在のドイツのヘゼビュー、スウェーデンのゴットランド、ロシアのノヴゴロドなどには奴隷市場があったという。奴隷は主に戦争に敗れた捕虜であることが多かった。近代アメリカの黒人奴隷などとは異なり、必要な対価を払えば身分の解放は比較的容易であった。
●一般的に、女性は16歳ごろに初婚を迎えたとされる。結婚後、夫が戦場で命を落とすことも多く、結婚歴が複数回に及ぶ女性も少なくなかった。
●ヴァイキングの散文学「サガ」は、史実に文学的な要素が加えられて成立した。
●1066年、ノルマン人のノルマンディー公ギョーム2世は、フランス王に仕える身でありながら、ウィリアム1世としてイングランド王国の支配者となった。ノルマン・コンクエスト(ノルマン人の征服)と呼ばれる。