榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

オーストラリアへの最初の入植者は、流刑となった囚人とその家族751人、軍人とその家族252人だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3874)】

【読書の森 2025年10月31日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3874)

カワラヒワをカメラに収めました。

閑話休題、『一冊でわかるオーストラリア史――世界と日本がわかる国ぐにの歴史』(永野隆行監修、河出書房新社)のおかげで、オーストラリア史について、いろいろ学ぶことができました。

●オーストラリア大陸とその周辺の島々に現生人類(ホモ・サピエンス)が最初に到達したのは、およそ6万から5万年前のことである。当時、オーストラリア大陸、ニューギニア島、タスマニア島は地続きであり、「サフル大陸」という一つの大陸だった。

●1788年、初代の総督(イギリス国王の代理である植民地の統治者)となったアーサー・フィリップが面倒をみた最初の入植者は1000人余りであった。その構成は、イギリスで流刑となった囚人とその家族が751人、軍人とその家族が252人だったといわれている。流刑囚の大部分は肉体労働に従事できる16~35歳の健康な男性で、女性の割合は2割以下だった。

●入植が始まった1788年から、流刑が廃止される1868年までの間に、オーストラリアには約16万人の囚人が流入した。

●自らの意思でやって来る「自由移民」が初めてオーストラリアに到着したのは、1793年のことだった。

●1929年の連邦議会選挙でナショナリスト党は労働党に敗北する。この時期、オーストラリアでは注目すべき2つの選挙制度が導入された。「優先順位付き投票制度」と「投票義務化」(強制投票)である。民意が反映されやすい選挙制度として現代でこそ高く評価されているが、導入された背景には保守系政党の利己的な動機があったのである。「投票義務化」は、投票しなかった者に罰金を科す制度である。

●オーストラリアの人々は長らく、イギリスを本国、自国をイギリスに従属する立場と位置づけ、「自分たちはイギリス国王の臣下である」、「自分たちはオーストラリアというイギリスとは別の国の人間である」という意識が入り混じった状態にあった。しかし、第二次世界大戦を転機として、アメリカとの関係が密接になる一方、イギリスの影響力が小さくなるうち、自立した国家としての意識が高まっていった。

●1960年代を通じてアジアとの関係が深まる中、オーストラリアでは白豪主義と先住民への差別的な政策が改められていく。

●1960~1970年代に起こった大きな変化の一つに、オセアニアの島々が次々と独立していったことが挙げられる。

●オーストラリア大陸への入植200周年に当たる1988年、オーストラリア国民の間ではイギリス国王を国家元首とする立憲君主制を廃止し、共和制の導入を唱える声が高まり、現在も議論が続いている。

●1990年代以降、オーストラリアの経済は急速に発展し、1992年から2019年まで28年間に亘り、毎年約2~4%の安定した経済成長を維持した。

●1990年代以降、日本の景気後退、さらには中国やインドなどが経済大国となったことで、オーストラリアにとって貿易相手国としての日本の比重は少しずつ低下し、代わりに中国との貿易が拡大した。2022年時点の輸出入額ともに相手国の1位は中国である。

●現在、オーストラリアは、オセアニアにおける中国の影響力の拡大を警戒している。

●外交や国防の問題だけでなく、オーストラリアの自然保護、先住民の生活の向上、天然資源以外の新しい産業の育成、共和制への移行や国旗の変更を巡る議論など、課題は少なくない。