難病中の難病ALSの実態と患者の心情が綴られた一冊・・・【薬剤師のための読書論(25)】
私は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に強い関心を抱いている。徐々に筋肉が衰えていくのに、感覚と意識は明瞭という病態が、あまりにも残酷・悲惨だからである。
『閉じこめられた僕――難病ALSが教えてくれた生きる勇気』(藤元健二著、中央公論新社)は、49歳でALSを発症した著者が、視線入力装置tobiiを使って一文字ずつ綴ったものである。
「2013年11月、50歳のとき、僕はALS患者になった。平均余命が2年から5年という難病中の難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の確定診断が出てしまったのだ」。
「動かなくなっていく身体に閉じこめられる――このように決して快方に向かうことはなく、現状維持さえできない進行性の疾患に身体と魂が向き合えば向き合うほど、絶望感は右肩上がりをたどるしかない。発症当初は、患者の7割が生きることを選択しない(気管切開をせずに死を選ぶ)ことを知って、その心情に、痛すぎるほど共感したものである。ところが、およそ2年前、発症後2年が経過したころから僕は変わっていった。それは、決して不屈の精神を持つようになったからではない。ある小さな出来事から――今になって思えばそれが大きな契機だったのだろうが――人生が、人生観が、芋づる式に次から次へと実を結んでいくように、変わっていった。そして今では、どうしてそんなに前向きに生きていけるのか、と聞かれるまでになったのだ」。
「病気そのものは大変だけれど、不幸とは言えない。人間はいつか治らない病気にかかって死を迎えるので、それがALSかどうかは関係ない。今まで命や死、生きることについて考えてきたつもりだったが、病気になってからのほうが深く考えるようになった。その深さは全然違う」。
「2016年、(末期の胃)がんと(急性)心筋梗塞と(誤嚥性)肺炎になり、気管切開。ALSなのに、俺ってすごいね」。
「同じ姿勢でいると、身体のあちこちが痛くなってくる。普通は寝返りを打つ。それができないので、人の手を借りなければならない。今夜はヘルパーさんがいない。家族を起さねばならない。これがつらい。お互いつらい。起されるほうの気持ちもわかるけれども、どうしようもなくて起さざるを得ない。ヘルパーさんなら、仕事とお互い割り切れる。家族介護の限界の典型例だ。・・・病院ではどうだろう。あまりにも頻繁にナースコールをするわけにもいかない。とくに深夜は人が少ないからなおさらだ。入院中、家族やヘルパーさんがつきっきりならよいのだが、現実的には難しい。できている患者さんがうらやましい。ああ、本当にどうしたらよいのだろう。一気に深みにはまってしまった。ほとんどが予期できたことなのに、不甲斐ない。自分が嫌になる。また愚痴だ」。
ALS患者自身がALSの実態と患者の心情を語ることは意味があると考える著者は、可能な限り、これから先も伝えていくという。著者の精神力に頭が下がると同時に、根本治療薬・再生医療の一日も早い開発成功を祈らざるを得ない。