榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

校閲者の世界は大変なんだなあ・・・【情熱の本箱(33)】

【ほんばこや 2014年6月7日号】 情熱の本箱(33)

校閲ガール』(宮木あや子著、KADOKAWA)と私とのギャップの大きさは相当なものである。

第1に、世代のギャップ。第2に、趣味というか得意技というか、このギャップ。第3に、言葉遣いのギャップである。この3つのギャップにも拘らず、本書によって、校閲の仕事の実際、校閲担当者と編集担当者の微妙な関係、若い世代の仕事・生活感覚を知ることができた。著者校正や他の人たちの文章の校閲に、仕事の一環として長らく携わってきた私にとっては、いろいろと勉強になることが多かったのである。

「(校閲者の)悦子が指摘した台詞や設定はすべて『ママ』(そのままの意)で(著者から)返され、本は出版され、初版止まりだった」。そうか、ごたごた書かずに、単純に「ママ」とすればいいのか。

「フォントサイズ=文字の大きさ。『nポ←ポイントの意』とか『nQ←級数の意』と記す(n=数字)。どっちを使うかはTPOによる。フォント関係ないけど『!』はあまだれ。『?』は耳だれと呼ぶらしい。見たまんますぎる!」。勉強になるなあ。

「今どき読書が趣味、というのは一部の人であるらしく、長引く不景気も手伝って文芸書は特に値段も高いため売れない。(悦子が勤める)景凡社の文芸編集部は、主力であるファッション雑誌と週刊誌の利益を食いつぶしながら、『総合出版社』としてのメンツを保つためだけに辛うじて生き残っている部署だ。あのとき文芸ではなくコミックに参入すべきだった、と社長まわりの人間たちが言うのを、よく耳にすると風の噂で聞く。出版社といえば必ず存在するのが編集部。出版社に限らず多くの企業に存在する営業部。ほかにも『広告宣伝部』とか『総務部』とか、一般的に耳にする『企業組織における主だった部著』はだいたい出版社にも存在する。しかし出版社の中でも、一部の出版社にしか存在しない部署がある。それが(悦子が所属する)『校閲部』である」。

「近づきたくても、どれだけ愛しくても、校閲者は『原稿』に過度の愛情を注いではならない。その『原稿』の生みの親(作者)に対しても、人格を露(あらわ)にしてはならない。対象を正しい形へ整えてゆく作業をするだけだ。ならばどうやって校閲者は作家に近づけばいいのか。文芸編集者になる気もないし、そもそも悦子の読書量では、なれない」。「校閲は本来作家の前に顔を出してはならない。禁止されているわけではないが、それが半ば常識になっている。その掟を今、自分は破ってしまったという事実に対する罪悪感」。校閲者は、作者と頻繁にやり取りする編集者とは異なり、作者と顔を合わせることを禁じられているわけではないが、そういうルールになっているというのだ。

「こめかみを揉みながら、悦子はしばらく目を閉じた。――私は校閲。内容の是非に口を出してはいけないんだ。心の中で言い聞かせ、目を開けて、再び文字に目を落とした。昨日の幸せな時間とは天と地ほどの差のある仕事。こんなに仕事が辛いのは初めてだった」。

「通常、仕事に慣れた校閲者が一日で完璧にできるのは25ページほどだとされている。だいたいその半分に匹敵する枚数を約2時間、息をするのも忘れるくらい集中して確認した」。校閲の仕事って、大変だなあ。

「3週間、特に叱咤されるようなこともなく、そもそも入社2年目の悦子はほとんど戦力として扱われておらず、ただ戦場のように忙しそうな雑誌校閲の足軽として流れについて行くだけだった。週に一度、校了日は終電になる」。

今後は、今まで以上に校閲者に感謝しなくっちゃ、と反省頻りの私。