榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『フランダースの犬』は、なぜフランダース地方では無名なのか・・・【情熱の本箱(126)】

【ほんばこや 2016年2月12日号】 情熱の本箱(126)

私が一番好きな児童文学は、誰が何と言おうと、『フランダースの犬』である。特に、クリスマスの朝、アントワープの聖母大聖堂(ノートルダム大聖堂)で、見たくて見たくて堪らなかった憧れのピーテル・パウル・ルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」の絵を見上げながら、愛犬パトラッシュを固く抱き締めたネロとパトラッシュが冷たくなっていく場面では、いつも涙が止まらなくなってしまう。本名マリア・ルイーズ・ラメ、筆名ウィーダの原作では、このシーンはこう描かれている。「ふたりにとって、それ以上生きるより、死ぬほうが救いだったのかもしれません。愛がむくわれず、信仰が実らないこの世から、死は、愛する人に忠実なパトラッシュをつれ去り、素朴に神と人を信じるネロをつれ去りました」。

誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬』(アン・ヴァン・ディーンデレン、ディディエ・ヴォルカースト編著、塩﨑香織訳、岩波書店)では、6名のフランダース人の著者たちによって、●イギリス人女性作家は、なぜベルギーのフランダース地方を舞台にした悲しい短篇小説を書いたのか、●ベルギーでは、なぜこの作品は人々に受け容れられなかったのか、●一方、日本では、なぜこの物語が今日に至るまで人々に愛され続けているのか、●また、アメリカで製作された5本の映画は、なぜパッピー・エンディングに書き換えられたのか――という興味深い謎が、粘り強く追求されている。

1857年、18歳のウィーダはロンドンで作家としてのスタートを切り、たちまちベストセラー作家となり、27歳にして大金持ちになっていた。彼女は、読者に歓迎される読み物とはどういうものかをよく心得ており、そういう作品を創り出す才能に恵まれていたのである。

そのウィーダが『フランダースの犬』を書いたのはなぜか。1871年の夏の終わりから秋にかけてベルギーのブリュッセルに滞在したウィーダは、この地で経験したさまざまなことからインスピレーションを得て、罪のない動物たちの受難、庶民の窮乏、身分違いの恋愛が辿る悲惨な運命、芸術の保護が芸術を攻撃するものとなること――を融合させた物語を書こうと思い立つ。こうして書き上げられたのが、『フランダースの犬』なのである。

フランダース人の著者たちは、「ウィーダの『フランダースの犬』は虚構――短いフランダース滞在とロマンチックな空想の産物だ」、「ウィーダが描写するフランダースは魅力に乏しい。『フランダースの犬』に登場するフランダース人は、おとなしいだけの田舎者、無教養な人物、しみったれ――要するに小心の伝統主義者として描かれている」と、舌鋒鋭く指摘している。その上、舞台として設定したフランダースを事実とはかなり異なる形で借用しているというのだ。「短編小説『フランダースの犬』が見事に示しているのは、名作といわれる作品がひとつの文化圏を描写するとき、虚構と現実はどう混ざり合うかということである。ウィーダは、事実として確かめられる事柄と自分で作った話を一緒にすることに優れた能力を発揮し、それが本当に起きたという錯覚を読者に与えるような、きわめて説得力のある物語を生み出した。この物語の翻案がさまざまな国で作られ。その文化に受け入れられていく驚くべき道のりが始まったきっかけは、この芸術的な語りの手法だった」と、皮肉を交じえて論評している。

さらに、ウィーダの晩年の落魄ぶりにまで言及している。

『フランダースの犬』が、ベルギーの北半分を占めるフランダース地方を含め、ベルギーでは、ほとんど知られていないのはなぜか。そして、フランダース人はなぜネロとパトラッシュのことが好きではないのだろう。「このフランダースの犬をめぐる物語は産業化を経る前の貧しい時代が舞台となっている。フランダース人としては思い出したくない過去だ。さらに、フランダース人の目からすると、これは貧しく、何よりも人生に失敗する少年の物語であり、自分たちが打ち出したいイメージとは違う。フランダースがエネルギッシュで経済的にも豊かな地域としてその地位を固めようとしているいま、惨めな物語などごめんだ。・・・つまり、『フランダースの犬』には、フランダース人が本来受け付けない、あるいは認めたがらない要素が入っている」。

一方、「日本の場合、映像化されたフランダースには(ベルギーともアメリカとも)まったく異なる価値観が見て取れる。日本の教育学者・高橋晃は、ネロとパトラッシュの悲劇的な最期は、決まって悲しい結末を迎える日本の多くの映画のパターンになじむものだと論じている。日本の親は、子どもたちが他人の悲しみや苦しみに共感する能力を養うことが重要だと考えるのだ。また、ベルギーで日本学と観光学を学んだデ・フロイターと映画監督のヴァン・ディーンデレンは、ネロとパトラッシュが、日本の伝統文化で軸となる資質とされる価値観を満たしていることから、いかに日本のヒーローとして認識されているかを説明した。つまり、崇高な失敗(高貴なる敗北)が真摯な態度(誠)と合わさって、感動的な自己犠牲につながるという考え方だ」。著者たちは、1975年にテレビの「カルピスこども劇場」で放映されたアニメーションの影響が大きかったと見做している。アニメーション化の洗礼を受けた後、物語は一層日本人好みのものとなったというのである。

「アメリカ映画の5作品すべてに共通して用いられた翻案のパターンは、家族を大切にするアメリカの価値観を明確に伝えるものだ。・・・アメリカのネロはアメリカンドリームを体現している。だからこそ、ハリウッドで映画化された5作品はどれも必ずハッピーエンドで終わる。自分自身への信頼と自国の価値観に対する信念をアメリカの観客が失わないようにするためだ」。アメリカの親たちは、自分の力を信じてアメリカン・ドリームを体現し、自分の置かれた悲惨な社会状況から脱出する、そういう物語を子供たちに見せたいと思っているというのだ。

最後に、著者たちが、「観光や広報、さらには文化史的な面でこの(『フランダースの犬』の)足跡に大きな価値が秘められていることを、フランダース人は理解していないのだろうか」と、フランダース人に現在の状況を改善するよう求めていることを付記しておく。