榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

永井荷風、今東光、松本清張たちは、なぜ小島政二郎が嫌いだったのか・・・【情熱の本箱(133)】

【ほんばこや 2016年3月12日号】 情熱の本箱(133)

単行本で700ページと分厚い『敵中の人――評伝・小島政二郎』(山田幸伯著、白水社)を一気に読み終えてしまった。小島政二郎(1894年~1994年)という小説家の生涯を、小島を毛嫌いした同業者――先輩の永井荷風(1879年~1959年)、後輩の今東光(1898年~1977年)、永井龍男(1904年~1990年)、松本清張(1909年~1992年)、立原正秋(1926年~1980年)ら――との絡みを通じて描き出すという手法が見事に功を奏しているからだ。その上、これらの作家だけでなく、森鷗外、与謝野鉄幹、鈴木三重吉、志賀直哉、北原白秋、谷崎潤一郎、菊池寛、久保田万太郎、芥川龍之介、佐佐木茂索、中河与一、木々高太郎、井伏鱒二、横光利一、川端康成、川口松太郎、舟橋聖一、平野謙、村上元三、瀬戸内寂聴、丸谷才一といった個性豊かな多彩な人物が登場し、それぞれの素顔が垣間見えるのだから、文学好きには堪らない。

小島に対して発せられた非難、悪口、皮肉の数々に対して、小島信奉者を自任する著者が小島の代理人を買って出て応戦している孤軍奮闘ぶりも興味深い。著者がこのような反撃の挙に出たのは、著者の父が小島門下生であり、著者自身も晩年の小島に接したことがあるという個人的な理由だけでなく、小島作品そのものに文学的価値を認めているからである。

小島に対する非難、悪口、皮肉の一端を示しておこう。「小島政二郎朝日新聞紙上に余が慶應義塾文科に教鞭を取りしころの事を記して掲載しつゝありと云ふ。小島は当時予科の生徒にて余が辞職せし後文科に入りし者なれば、思ふに其の記すところは皆虚偽なるべし」(永井荷風)。「あの野郎は。生前はまるで米つきバッタみてえにゴマすってた作家たちが死ぬと、まるで友人か親友だったかのような顔して書きやがるんだ、あん畜生。だからオレは大ウソつきだと言うんだ」(今東光)。「彼奴の面皮、彼奴の貪食、生来下賤なる性情は、醜鮟鱇といへどもおもてを避けむか」(永井龍男)。「小島政二郎に『佐々木茂索』と題した回想風な読物がある。・・・茂索は他から『佐々木』と書かれるのを極端に嫌っていた。これは菊池寛が『菊地』、芥川が『龍之助』と書かれるのを忌んだのと同様である」(松本清張)。「酒ものまずに肴を語るのは、これはもうはっきりインチキで、あの老人が食い物について書いたのを読んだことがあるが、どうもこれは味覚の発達していない人だな、という気がしてならない」(立原正秋)。

小島が大先輩作家たちの用字・用語・仮名遣いの誤りを公に指摘したのに対し、荷風が酷く気分を害したのとは対照的に、荷風が師と仰ぐ鷗外は丁寧に小島に対応したというエピソードが紹介されている。「こうして文豪鷗外の脳内に、小島政二郎の名が刻まれた。二人が対面して言葉を交わすのはまだ先だが、その後信頼を得た政二郎は、『森林太郎訳文集』『森林太郎傑作集』の校正を委嘱されたり、鷗外没後には、全集の編纂委員に名を連ねることにもなる。いった文壇の巨人は、この学殖も才能も不明の青年のどこに、信を置くようになったのだろう。歳の差は実に32。やはり、この手紙のやりとりにもその一端が窺われるように、政二郎の実直さ、学問の深遠広大さに襟を正して臨むその態度に、鷗外は親近性を感じたのではないだろうか」。「荷風でなくとも、誤用を指摘されて愉快な作家はまずいないだろうし、それを坦懐に受け入れる度量と謙虚さを備えていたのは、はたして鷗外だけだったというわけだ」。さすが、鷗外である。荷風が小島を嫌う思いには、自分より遥か弱輩の小島が鷗外の知遇を得ていることに対する嫉妬が混じっていたというのが、著者の見解である。また、鷗外が当時の文学界で多くの作家たちから尊敬されていたことも記されている。

小島が芥川から英訳のバルザック全集13巻を何日間で読み終わるかという競争を持ちかけられたことに関し、東光は、「(芥川が)あんなボケ(小島)に、バルザック読めなんていうはずないですよ」と貶している。この発言とは別だが、東光が語る逸話にバルザックと、東光が師と仰ぐ谷崎が登場する。「ある日、東光が谷崎邸に遊びに行くと、芥川がやって来た。その時、谷崎が芥川に問うた。『君はバルザックを読んでいるかね』。芥川は『短編を少し読んだだけだが、何かお勧めは?』。谷崎答えて曰く『<ロスト・イリュージョン(幻滅)>は傑作だ。ぜひ読みたまえ』。これをきっかけに芥川は、英訳のバルザック全集を買い込み読破した。ただ、読むには読んだが、体質的には合わなかったようだ」。谷崎がバルザックを高く評価していたと知り、バルザック大好き人間の私は嬉しくなってしまった。

純文学と大衆文学の問題に関連して、勝目梓に言及されているのは嬉しいことだ。「こうした娯楽小説の第一線で活躍してきた『官能』作家の中で、稀有な文学的達成を果たした存在がある。平成18(2006)年、『小説家』を世に送った勝目梓である」。晩年に著した『小説家』『老醜の記』の文学的価値を認めるのに吝かでないが、私は勝目のハード・バイオレンス小説も大好きだ。

清張が小島に悪意、軽侮の気持ちを抱くに至ったのは、小島の悪口を言っていた東光と和田芳惠の影響だろうと、著者は推論している。「清張が同業作家たちと親しく交わらなかったのは、多くの関係者が語るところである。その数少ない例外が、和田芳惠であり、今東光である。この二人こそが、清張の小島観に決定的な影響を与えたのではないかと、私は推測する」。「和田・松本の美しい間柄に比べれば、小島・和田の師弟関係には、曰く言い難い愛憎が並存していた。『小島先生』を語る和田の目が、武田麟太郎の思い出を話す時のように輝いていたわけがない。その表情には翳りも屈折も見えただろう。その胸底に厳然とある師への敬愛を察することが出来ない限り、和田の行動は不可思議に思えたかもしれない。清張にはそこが死角になっていたのだと思う」。私の敬愛する清張が、小島と直に話し合う機会がいくらでもあったのにそうしなかったのは、何とも残念なことである。

本書は、自分が生きているうちに、恩人(小島)への誤解、偏見、誤謬に一矢報いておきたいという著者の切実な思いが紙上に結晶したものである。