榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

現代の最も「危ない」人物・松岡正剛の世界・・・【山椒読書論(19)】

【amazon 『危ない言葉』 カスタマーレビュー 2012年3月21日】 山椒読書論(19)

一夜一冊の連続書評という荒業を成し遂げた『松岡正剛 千夜千冊』で知られる松岡正剛。彼が主唱する「編集工学」について、「たとえば物理学と民俗学のようなまったく異質なものが、それが断片で半端であるがゆえに、ちょっとずつ繋がってくる。関係しあってくるんですね。ぼくはそういう作業に熱中することを『遊学』とか『編集工学』と名付けたのですが、これはキリなくおもしろかった」と述べている。

松岡正剛 危ない言葉――セイゴオ語録(1』(松岡正剛著、求龍堂)では、現代の最も「危ない」人物・松岡正剛の世界が縦横無尽に展開されている。

例えば、こんなふうだ。

●小さいころ、吃音だった。
ぼくの半生は言葉の時空との闘いの歴史であって、
とうてい得意技の発露の歴史ではなかった。
不得意領域への挑戦史なのである。

●死が他人事じゃないからこそ、「生」も他人事じゃないんです。
ここが重要なところです。いいですか、どんな生も他人事ではないんです。
そうだとしたら、いま何をすべきかということも、
一年に一度くらいは深く見つめてみるといいと思います。

●まったく「座る」とは東洋の恐ろしい発見だった。

●編集は遊びから生まれる。
編集は対話から生まれる。
編集は不足から生まれる。

編集は照合である。
編集は連想である。
編集は冒険である。

●ぼくの事務所のスタッフは、能力がトータルになくても、特異性が必ずある人たちなんですよ。それがぼくにとっては、このうえなく大事なもので、それがなくなると困るから給料を出しているようなもんです。それにつけこまれてしまうと困るんですけど(笑)。それさえ出せば、ぼくはそれで済んでしまうと思われているのが、「キュウリもみ」なんですよね(笑)。

●気になった人物の自宅に伺う機会があったときは、何よりもまず書斎を見せてもらってきた。書棚は人生の鏡なのである。その思想、その感受性、その好き嫌いが呼吸する。