榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

古書店で不思議な光を放っていた本・・・【山椒読書論(69)】

【amazon 『読書人の悦楽』 カスタマーレビュー 2012年9月14日】 山椒読書論(69)

神田・神保町の古書店街をぶらついて、奥まった所に小さな店を構える文芸書専門のある古書店に入り、棚を眺め回していたら、キラリと光を発している本がある。手に取ると、『読書人の悦楽』(谷沢永一著、PHP研究所。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)という本であった。

敬愛する書評家・谷沢のものは、かなり読んできたつもりであったが、これは未読であった。「おいおい、まだ、わしを読んでいないではないか」と言いたくて、私に光を送ってきたのかもしれない。

本書は、谷沢が読書論エッセイに手を染め始めた1970年代の出版なので、さすがに当時の出版界の事情などは旧聞に属すが、谷沢一流の読書への真剣な姿勢と、誤解を恐れぬ剔抉の辛口批評は、既にこの時分からのものであることが分かる。

例えば、「わが著書を語る――『完本・紙つぶて』」では、「新聞の書評欄という場所の性質上、新刊書を足がかりにすべきは第一条件ながら、単なる書評ではコラムとしての意味がない。広義の書評であってかつ普通の書評が切り捨てた何物かを掬いあげ、『ひとアジ違う』読み物に仕立てねばならない。そのためには、次のような要素を加味すべく努めては如何。①特定の新刊書から連想をたぐって何か適当な旧刊書へと話題を結びつけ、その関連構図が生み出す問題をテーマとする。②説明や紹介によって新刊書へ読者を誘う、いわゆる水先案内人を職務とせず。採り上げた書物を別に読まないでも、ひとつのまとまったハナシとして咀嚼できるように独立完結した話題の提示を目指す。③ちょっと耳を傾けるに足るような文化史的エピソードをときどき挿入して、ひまのない方々にとってのコンパクトな情報源とする。④広く世に知られるまでに至っていない篤志の価値ある出版物を、できるだけ発掘し顕彰するよう心がける。⑤褒める場合も貶す場合も口ごもらずにハッキリした物言いに徹し、その理由を明示して読者の自主的判断に資する」といった具合だ。

「嘗て私が非常に嬉しかったのは、デカルトの朝寝坊、寝起きの悪さについての弁解を読んだ時でした。誰にでもこんな自堕落が許されるのでないこと言う迄もありませんが、私も低血圧で若い時からパッと起きることが出来ないのを苦にしておりましたから、これを読んで私のデカルトに対する親愛の情は極限に達しました。こういう有難い知識は、『方法叙説』や『省察』などデカルトの主要著作だけいくら読んでも教わらない。どこに出て来るかというとデカルトの『書簡集』なんです。デカルトは一生、沢山の手紙を書くという形式で学界に身を処した人なんで、だからデカルトの最も本質的な面目躍如たるところは『書簡集』に見られると言っても過言ではないと思います」と、それこそ谷沢の面目躍如である。

巻末近くの「絶対ソンせぬ10冊の本」、「読んでソンせぬ本5冊」、「絶対ソンせぬ文庫10点」は、本当に困り物だ。何しろ、谷沢の書評を読むと、どれもこれも読みたくなってしまうからである。