榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

連歌というのは、意外に奥が深いなあ・・・【山椒読書論(486)】

【amazon 『連歌とは何か』 カスタマーレビュー 2014年9月10日】 山椒読書論(486)

数十年ぶりに再会した高校時代の同級生から薦められた『連歌とは何か』(綿抜豊昭著、講談社選書メチエ)を読んでみた。自分がいかに連歌について何も知らないかを思い知らされた。

「短歌は三十一音からなり、俳句は十七音からなる。そしてその句切れから、短歌は『五・七・五・七・七』、俳句は『五・七・五』というように、その音数律で示されることがある。このうち短歌を二つにわけて、『五・七・五』を上句(かみのく)とか長句(ちょうく)、『七・七』を下句(しものく)とか短句(たんく)ということがある。短歌は、『五・七・五・七・七』すべてを一人で詠むのだが、この上句と下句をあえて二人で詠む場合を連歌(れんが)という。すなわち連歌は二人が唱和することからはじまったのである」。

「連歌は、はじめのうちは長句、短句の二句であったが、それが長句、短句、長句と交互に三句、四句と続けられた連歌が詠まれる。そうなると、二句のものは『短連歌』、三句以上は『長連歌』という分類がおこなわれることになる。・・・二人で唱和するとなると、はじめの句(『付句』に対して『前句』という)を詠む人もその句に続く句(『付句』という)を詠む人も、どのようなことを、どのように付けるかということを考える。自分の詠んだ句にうまく付けてくれればおもしろいし、付ける側もうまくこたえることができればおもしろい。短連歌には、こうしたコミュニケーションを意識したおもしろみ、遊戯性があるのである」。

やがて、百句続く連歌も行われるようになる。「あらたまっておこなわれ、優劣が付くとなれば、連歌のありようも変化しなくてはならない。多くの人数の者が参加し、句を詠むとなれば、ある程度の秩序が連歌にも必要だし、優劣が付けられるとなれば、勝つための技術が生み出されるようになっていく。かつて、たまたま会話のようになされた短連歌とは異なるのは当然のことである。・・・短連歌のときは、五・七・五には七・七、七・七ならば五・七・五を付けるという最低限のルールしかなかったが、長連歌となってくると、西洋の詩の押韻のように、しなければならない制約を設けることで、面白みを増すようになってくる」。

室町時代に至り、全国的に連歌が流行し、連歌の黄金期を迎える。このことに大きく貢献したのが、連歌の天才・宗祇であった。「成功の条件は、運と天分と努力の三つがかねそなわることであろう。貴顕の家に生まれるという運は宗祇にはなかったが、連歌師として成功する天分と努力はあった。学問に王道なしというが、もって生まれた星のもとで、自己実現のための王道を見誤らずに歩んだ人物として、宗祇は実に魅力的である。・・・宗祇は、前句にどう付けるか、という近視眼的な見方だけではなく、連歌一巻全体の中での位置づけという巨視的な見方ができる、編集知に長けた連歌師である。その能力が、自分の人生設計にも発揮されたというべきか、巨視的にものを見る能力があったからこそ、すぐれた連歌作品を残せたというべきか」。

著者に絶讃されている宗祇の作品を一つだけ挙げておこう。「雲はなほ定めある世の時雨かな――心敬。世にふるもさらに時雨のやどりかな――宗祇。無常の世を詠んだ心敬の句とならべることによって、身の上のことを詠んだ宗祇の句は映える」というのだ。

創作しつつ味わい、味わいつつ創作する、機知と友愛の芸術、連歌。戯れに私も連歌に挑戦しようと思ったが、一人では連歌にならないことに気がついた。